能「烏帽子折」

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能「烏帽子折」は宮増の作品である。宮増には分らないことが多い。個人ではなく集団の名だという説もある。ほかに「鞍馬天狗」や「大江山」など多くの作品が残っており、いずれも演劇的な構成を特徴としている。この「烏帽子折」も同様で、台詞を中心にして演劇的な展開を持ち味にした作品だ。

テーマは義経の東下りである。それに源氏の烏帽子折の逸話や、熊坂長範との戦いを絡ませている。義経の東下りには、金売吉次が同行することになっているのだが、この曲でも吉次は前半で出て来て、少年義経すなわち牛若丸を世話する。だが後半になると吉次は消え、牛若丸が一人で長範らに立ち向かい、屈服させてしまうのだ。牛若はまだ十二・三の少年ということになっており、その少年が大の男たちを切り伏せるところが痛快である。

この曲は、前シテが烏帽子屋の亭主、後シテが熊坂長範という具合に、前後でシテが入れ替わり、しかも互いに何らの関係もない。またどちらも現在進行形の役柄である点で、世阿弥の複式夢幻能とは対極的である。牛若丸は子方の役であるが、事実上はこれがシテと変わらぬ役を果たしている。なお、この役は、能の子方にとって、卒業に相応しい役柄だとされている。

ここでは先般NHKが放映したものを紹介したい。前シテは武田志房、後シテが武田友志、子方が武田章志の一家三代。孫の章志は中学生ほどに見えた。それゆえ牛若を堅実に演じている。舞台にはまず、吉次と弟の吉六が登場する。彼らは京を辞して東国へ向かうところである。(以下テクストは半魚文庫を活用)

ワキ、ワキツレ次第「末も東の旅衣。末も東の旅衣。日も遥々と急ぐらん。
ワキ詞「これは三条の吉次信高にて候。われ此程数の財を集め。弟にて候ふ吉六を伴ひ。唯今東へ下り候。如何に吉六。高荷どもを集め東へ下らうずるにて候。
ワキツレ「委細心得申し候。やがて御立ちあらうずるにて候。

そこへ牛若丸が登場して、同道を乞う。

子方呼掛「なう/\あれなる旅人。奥へ御下り候はゞ御供申し候はん。
ワキ「やすき間の御事にて候へども。御姿を見申せば。師匠の手を離れ給ひたる人と見え申して候ふ程に。思ひも寄らぬ事にて候。
子方「いや我には父もなく母もなし。師匠の勘当蒙りたれば。たゞ伴ひて行き給へ。
ワキ「此上は辞退申すに及ばずして。此御笠を参らすれば。
子方「牛若此笠おつ取つて。今日ぞ始めて憂き旅に。
地下歌「粟田口松坂や。四の宮河原逢坂の。関路の駒の後に立ちて。いつしか商人の主従となるぞ悲しき。
上歌「藁屋の床の古。藁屋の床の古。都の外の憂き住まひ。さこそはと今思ひ粟津の原を打ち過ぎて。駒もとゞろと踏みならし。勢田の長橋うち渡り。野路の夕露守山の。下葉色照る日の影もかたぶくに向ふ夕月夜。鏡の宿に着きにけり。鏡の宿に着きにけり。
ワキ詞「急ぎ候ふ程に。鏡の宿に着きて候。此処に御休あらうずるにて候。

間狂言。これまでの牛若らの行動の様子を繰り返し物語る。

一行は近江の国の鏡の宿について、一軒の烏帽子屋を尋ねる。牛若が、姿をやつして敵の目を逃れるためである。その烏帽子を牛若丸は左折にしてほしいと頼む。左折は源氏の印であり、今の世には危険だと指摘されると、牛若は構わないからそうしてくれと答える。なお烏帽子屋の前シテは直面である。

子方「唯今の早打をよく/\聞き候へば。我等が身の上にて候。此侭にては適ふまじ。急ぎ髪を切り烏帽子を着。東男に身をやつして下らばやと思ひ候。
詞「いかに此内へ案内申し候。
シテ「誰にて渡り候ふぞ。
子方「烏帽子の所望に参りて候。
シテ「何と烏帽子の御所望と候ふや。夜中の事にて候ふ程に。明日折りて参らせうずるにて候。
子方「急の旅にて候ふ程に。今宵折りて賜り候へ。
シテ「さらば折りて参らせうずるにて候。まづ此方へ御入り候へ。さて烏帽子は何番に折り候ふべき。
子方「三番の左折に折りて賜はり候へ。
シテ「これは仰にて候へども。それは源家の時にこそ。今は平家一統の世にて候ふ程に。左折は思ひもよらぬ事にて候。
子方「仰は尤にて候へども。思ふ子細の候ふ間。唯折りて賜り候へ。
シテ「幼き人の御事にて候ふ程に。折りて参らせうずるにて候。此左折の烏帽子について。嘉例目出度き物語の候。語つて聞かせ申さうずるにて候。
子方「さらば御物語り候へ。

源氏の烏帽子折が左折になったいわれと、自分らがそれにどのように係ったかについて、前シテが語る。

シテ詞「さても某が先祖にて候ふ者は。もとは三条烏丸に候ひしよな。いで其頃は八幡太郎義家。阿部の貞任宗任を御追罰あつて。程なく都に御上洛あり。某が先祖にて候ふ者に。この左折の烏帽子を折らせられ。君に御出仕ありし時。帝なのめに思し召され。其時の御恩賞に。奥陸奥の国を賜つて候。われらもまた其如く。嘉例めでたき烏帽子折にて候へば。此烏帽子を召されて程なく御代に。
地「出羽の国の守か。陸奥の国の守にかならせ給はん御果報あつて。世に出で給はん時。祝言申しゝ烏帽子折と。召されでめでたう引出物たばせ給へや。あはれ何事も。昔なりけり御烏帽子の左折のその盛。源平両家の繁盛花ならば梅と桜木。四季ならば春秋。月雪の眺いづれぞと。争ひしにやいつの間に。保元のその以後は。平家一統の。世となりぬるぞ悲しき。よしそれとても報あらば。世変り時来り。をり知る烏帽子桜の花。咲かん頃を待ち給へ。
シテ「かやうに祝ひつゝ。
地「程なく烏帽子折り立たてゝ。花やかに三色組の。烏帽子懸緒取り出し。気高く結ひすまし召されて御覧候へとて。お髪の上に打ち置き立ち退きて見れば。天晴御器量や。これぞ弓矢の大将と申すとも不足よもあらじ。

牛若丸は、礼として、腰に差していた刀を与える。それを見た烏帽子屋の妻が感涙を催す。その刀は、源氏の御曹司牛若丸がお守りとしていたもので、それの使いに自分は関わったというのである。そこで夫婦はその刀を牛若に返すべく、後を追う。

シテ詞「日本一烏帽子が似合ひ申して候。
牛若「さらば此刀を参らせうずるにて候。
シテ「いや/\烏帽子の代は定まりて候ふ程に。思ひもよらず候。
子方「唯御取り候へ。
シテ「さらば賜らうずるにて候。さこそ妻にて候ふ者の悦び候はん。いかに渡り候ふか。
ツレ「何事にて候ふぞ。
シテ「幼き人の烏帽子と御所望と仰せ候ふ程に。折りて参らせ候へば。此刀を賜りて候。なんぼう見事なる代にてはなきか。よくよく見候へ。あら不思議や。かやうの事をば天の与ふる事とは思ひ給はで。さめざめと落涙は何事にて候ふぞ。
ツレ「恥かしや申さんとすれば言の葉より。まづ先だつは涙なり。
クドキ「今は何をか包むべき。これは野間の内海にて果て給ひし。鎌田兵衛正清の妹なり。常磐腹には三男。牛若子生れさせ給ひし時。頭の殿より此御腰の物を。御守刀にとて参らさせ給ひし。その御使をば。わらは申してさぶらふなり。痛はしや世が世にてましまさば。かく憂き目をば見まじき物を。あらあさ
ましや候。
シテ詞「何と鎌田兵衛正清の妹と仰せ候ふか。
ツレ「さん候。
シテ「言語道断。この年月添ひ参らすれども。今ならでは承らず候。さてこの御腰の物をしかと見知り申されて候ふか。
ツレ「こんねんだうと申す御腰の物にて候。
シテ「げに/\承り及びたる御腰の物にて候。さては鞍馬の寺に御座候ひし。牛若殿にて御座候ふな。さあらば追つつき。この御腰の物を参らせ候ふべし。おこともわたり候へ。や。未だこれに御座候ふよ。これに女の候ふが。此御腰の物を見知りたる由申し候ふ程に。召し上げられて給はり候へ。

牛若に追いついた烏帽子屋と妻は、事情を説明したうえで、刀を牛若に返す。

子方「不思議やな行くへも知らぬ田舎人の。われに情の深きぞや。
シテツレ二人「人違へならば御許あれ。鞍馬の少人牛若君と。見奉りて候ふなり。
子方「げに今思ひ出したり。もし正清がゆかりの者か。
ツレ「御目のほどのかしこさよ。妾は鎌田が妹に。
子方「あこやの前か。
ツレ「さん候。
子方「げに知るは理われこそは。
地「身のなる果の牛若丸。人がひもなき今の身を。語れば主従と。知らるゝ事ぞ不思議なる。
ロンギ地「はやしのゝめも明け行けば。はやしのゝめも明け行けば。月も名残の影うつる鏡の宿を立ち出づる。
シテツレ二人「痛はしの御事や。さしも名高き御身の。商人と伴ひて。旅を飾磨の徒歩はだし。目もあてられぬ御風情。
子方「時代に変る習とて。世のため身をば捨衣。怨と更に思はじ。
シテ「東路のおはなむけと思し召され候へとて。
地「この御腰の物を強ひて参らせ上げければ。力なしとて請け取り我もしも世に出づならば。思ひ知るべしさらばとて商人と伴ひ憂き旅に。やつれはてたる美濃の国赤坂の宿に着きにけり。赤坂の宿に着きにけり。

ここで中入。とはいっても複式夢幻能のような出入りはない。吉次が美濃の赤坂の宿に着いたと宣言する。

ワキ詞「急ぎ候ふ程に。赤坂の宿に着きて候。いかに吉六。此処に宿を取り候へ
吉六詞「畏つて候。

間狂言 これまでのいきさつをあらためて回想する。その後、吉次が事態の切迫していることを語る。盗賊たちに追われているというのだ。それに対して牛若丸は、自分が退治してやろうという。その言葉を頼もしく思った吉次たちは、その場を牛若丸に委ね、自分たちは舞台から消える。

ワキ「これは何と仕り候ふべき。
吉六「我等も是非を弁へず候。
子方「面々は何事を仰せ候ふぞ。
ワキ「さん候我等此処に泊り候ふを。此辺の悪党ども聞き付け。今夜夜討に討たうずるよし申し候ふ程に。左様の談合仕り候。
子方「たとひ大勢ありとても。表にたゝん兵を。五十騎ばかり斬り伏すならば。やはか退かぬ事は候ふまじ。
ワキ「これは頼もしき事を仰せ候ふ物かな。悉皆たのみ候。
子方「面々は武具して待ち給へ。我は大手に向ふべしと。
地「夕も過ぎて鞍馬山。夕も過ぎて鞍馬山。年月習ひし兵法の術を今こそは。現し衣の妻戸を。開きて沖つ白波の打ち入るを遅しと待ち居たり。打ち入るを遅しと待ち居たり。

早鼓があって、長範はじめ盗賊の一味が舞台上になだれ込んで来る。それを牛若丸が迎え撃つ。長範はべしみ面をつけている。

後ツレ大勢「寄せかけて。打つ白波の音高く。鬨を作つて騒ぎけり。
後シテ詞「如何に若者ども。
後ツレ「御前に候。
シテ「大手がくわつと開けたるは。内の風ばし早いか。
ツレ「さん候内の風早くして。或は討たれ。又は重手負ひたると申し候。
シテ「不思議やな内には吉次兄弟ならではあるまじきが。さて何者かある。
ツレ「投げ松明の影より見候へば。年の程十二三ばかりなる幼き者。小太刀にて切つて廻り候ふは。さながら蝶鳥の如くなる由申し候。
シテ「さて摺鉢太郎兄弟は。
ツレ「是は火振の親方として。一番に斬つて入りしを。例の小男わたり合ひ。兄弟の者の細首を。唯一討に打ち落したるよし申し候。
シテ「えい/\何と/\。かの者兄弟は余の者五十騎百騎にはまさうずるものを。あゝ斬つたり/\。
詞「彼奴は曲者よ。
ツレ「高瀬の四郎はこれを見て。今夜の夜討悪しかりなんとや思ひけん。手勢七十騎にて退いて帰りて候。
シテ「彼奴は今に始めぬ臆病者。さて松明の占手はいかに。
ツレ「一の松明は斬つて落し。二の松明は踏み消し。三は取つて投げ返して候ふが。三つが三つながら消えて候。
シテ「それこそ大事よ。それ松明の占手といつぱ。一の松明は軍神。二の松明は時の運。三はわれらが命なるに。三つが三つながら消ゆるならば。今夜の夜討はさてよな。
ツレ「御諚の如く。此まゝにては鬼神にてもたまるまじく候。唯退いて御帰り候へ。
シテ「実に/\盗も命のありてこそ。いざ退いて帰らう。
ツレ「尤もにて候。
シテ「いや熊坂の長範が。今夜の夜討を仕損じて。何くに面を向くべきぞ。唯攻め入れや若者どもと。大音あげて呼ばはりけり。
地「鬨を作つて斬つて入りけり。
地「あら。物々しや己等よ。物々しや己等よ。先に手並は知りつらん。それにも懲りず打ち入るか。八幡も御知見あれ一人も助けてやらじものをと小口に立つてぞ待ちかけたる。

ここで長範らによるカケリがあり、その後、長範を牛若丸が倒すところでとなる。

上「熊坂の長範六十三。熊坂の長範六十三。今宵最後の夜討せんと。鉄屐を踏ん脱ぎ捨て。五尺三寸の大太刀を。するりと抜いてうちかたげ。をどり歩みにゆらり/\と歩み出でたる有様は。いかなる天魔鬼神も面を向くべきやうぞなき。
上「あらはかばかしや盗人よ。あらはかばかしや盗人よ。めだれ顔なる夜討はするともわれには適はじものをとて。隙間あらせず斬つてかゝる。熊坂も大太刀遣の曲者なれば。さそくをつかつて十方切。八方払や腰車。破圦の返し。風まくり。剣降らしや獅子の歯がみ。紅葉重。花重三つ頭より火を出して。しのぎを削つて戦ひしが。秘術を尽す。大太刀も御曹司の小太刀に斬り立てられ。請太刀となつてぞ見えたりける。
太鼓歌「。
上地「打物業にて適ふまじ。打物業にて適ふまじ。組んで力の勝負せんとて太刀投げ捨てゝ。大手を広げて飛んでかゝるを。背けて諸膝薙ぎ給へば。斬られてかつぱと転びけるが。起き上らんとてつゝ立つ所を。真向よりも割りつけられて。一人と見えつる熊坂の長範も二つになつてぞ失せにける。





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