グッバイ、レーニン!:ヴォルフガング・ベッカー

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ヴォルフガング・ベッカーの2003年の映画「グッバイ、レーニン」は、ベルリンの壁崩壊前後の東ドイツ人の暮らしぶりの一端をテーマにしたものだ。ベルリンの壁崩壊に続く東西ドイツの統合は、西側による東側の吸収という形をとり、多くの東ドイツ市民にとって過酷な面もあった。とくに体制にコミットしていた東ドイツ人にとっては、自らのプライドを揺るがされるものでもあった。この映画は、東ドイツの体制にこだわる家族の物語である。

主人公は、母親と二人の子どもからなる家族。父親は家族を捨てて西側に亡命したことになっている。その家族がベルリンの壁崩壊に象徴される東ドイツの混乱に翻弄される。その混乱の中で、母親は心臓発作で倒れ、生死の境をさまよう。彼女の意識不明状態は八か月も続くが、その間に東側の西側への統合が進む。母親は体制にコミットしていて、東ドイツの社会主義に誇りを持っていた。そんな彼女が現実を突きつけられたら、どんな思いになるか。息子はそこを心配する。

母親がついに意識を取り戻すと、息子はベルリンで進行している現実を、母親に見せまいとする。母親を家に連れ戻した後、友人の協力を得ながら、まるで何事も変っていないかのように振る舞う。母親がテレビを見たいと言うと、特別に編集したテープをテレビで流す。そのテープは、東西ドイツが相変わらず併存しているかのように編集されており、時には東側が西側の難民を受け入れているというような虚偽も流す。実際には東側から西側に難民が流れていたのに。

息子に騙されている母親は、そのことを知っているのかどうか、曖昧な具合に画面は進行する。そのうち母親は、父親との関係を子供らに話す。今までは父親が家族を捨てたと子どもたちに話していたが、実はそうではなく、家族そろって亡命するはずだったところ、結果的に父親だけが西側に行ったというのだ。その上で母親は父親を愛していると言い、できれば会いたいと願う。

母親は二度目の発作を起こして再び病院に担ぎ込まれる。今度はおそらく治癒しないだろうと医者から言われた息子は、なんとかして父親を連れて来て、母親に合わせたいと思う。息子はその意思を父親に伝えて、母親のもとに連れて来るのだ。

こんな具合にこの映画は、母親思いの息子を主なテーマにしている。息子の母親に対する感情は、異常なまでに密着したもので、マザコンなどという言葉も生ぬるいほどだ。その母親は、最期にはドイツの現実に気が付いたに違いない。彼女は足ならしにアレクサンダープラッツのあたりを散歩するのだが、その折に、巨大なレーニンの銅像の頭部が、ヘリコプターに吊るされているのを目撃する。そんなことは、それまでの東ドイツではありえないことだったので、何かが起きたということを、母親は感じ取ったに違いないのである。

一方父親は、新しい家族を作って西ベルリンのヴァンゼーあたりに住んでいるということになっている。ヴァンゼーは、ベルリン中心部からポツダムに向かう途中にある湖で、周辺は郊外住宅地になっているところだ。そんな近くに住んでいながら、父親が昔の家族と自発的に会おうとしなかったのは、新しい家族への配慮からか、それとも忘れてしまったからか。それについて映画は深入りしない。

息子には恋人ができるのだが、彼女はソ連からやってきて、ベルリンの壁の周辺をデモしていたところ、息子と出会ったということになっている。壁崩壊以前には、東ドイツとソ連とは、結構人的な出入りがあったということか。なお、この映画はドイツ国内で大ヒットしたそうだ。






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