麹町一丁目山王祭ねり込、赤坂桐畑:広重の名所江戸百景

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(51景 麹町一丁目山王祭ねり込)

半蔵門から四谷を経て新宿に延びる通りを今では新宿通りというが、徳川時代には麹町といった。甲府へ向かう道であるところから甲府路(こふじ)といい、その起点にあることからこふじまちと言った。起点から四谷見附までが十丁、四谷の外側に三丁あった。

山王祭は江戸の鎮守日吉山王神社の祭礼。日枝神社は神田明神とともに江戸の氏子を二分していた。双方の祭は天下祭と称されて、隔年ごとに交代で行われた。いまでもその伝統は続いている。

山王祭は、毎年6月15日に行われた。早朝、45台の山車が山下門に集合し、山王神社で三台の(神社)神輿が加わり、麹町一丁目の半蔵門から江戸城内に入って、将軍のお目見えを得たのちに、常盤橋御門から城外に出た。

この絵は、麹町一丁目にさしかかった山車の行列を描いたもの。右手、土手の上に見えるのが半蔵門。手前に大きく描かれた山車は、おそらくいまの警視庁あたりをさしかかっているのだろう。先頭部隊は半蔵門をくぐっている。

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(52景 赤坂桐畑)

日枝神社の麓、赤坂から虎ノ門にかけて、かつては溜池とよばれる細長い池があった。今では存在しないが、溜池山王という駅名として残っている。もともとは江戸市内への上水源として使われていた。

この溜池の西側、つまり日枝神社の反対側の土手に、桐の木が多く植えられていた。地盤補強の目的からのようである。

この絵は、その桐の木を描いたものである。池の対岸に見える台地は、日枝神社のある丘。丘の麓には武家屋敷や寺の末寺などが立ち並んでいる。







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