野田聖子女史の床屋の女房的発想

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自民党衆議院議員杉田某女の女性差別発言を問題視した団体が、自民党に対して、議員辞職を求める署名を提出しようとしたところ、自民党を代表して応対した幹事長代行野田聖子女史が、受け取りを拒んだという。その理由が面白い。わたしには議員を辞職させる権能が備わっていないので、受け取るとることはできないというのだ。

提出した団体としては、野田聖子女史個人に受け取ってもらいたいわけではなく、自民党として受け取ってほしかったのだと思うのだが、その自民党を代表して応対したはずの野田聖子女史が、わたしにはそれをうけとる能力がないというのは、どういう理屈か。当該団体ならずとも、頭をかしげたくなるのではないか。

野田聖子女史は、彼女の私的な行為として応対したわけではなく、自民党を代表して応対したわけだから、その代表者がわたしには能力はないということは、自民党自体にそんな能力がないと言っているに等しい。いまの自民党には、どんな不祥事を犯したからといって、それを理由に辞職させるなどということは、ありえませんよ、そう言えばわかりやすいところを、野田聖子女史は、わたしには能力がないから受け取れません、と言うのは、問題のすり替えのようにも聞こえる。

どうもそうした野田聖子女史の受け答えを見ていると、床屋の女房的な発想を感じさせられる。と言っても小生は別に床屋の女房を馬鹿にしているわけではない。馬鹿にしているわけではないが、床屋といえば日頃政治談議が好きだというイメージが強い。ほかの国のことは知らないが、わが日本では、徳川時代から床屋の政治談議が盛んだった。そういう文化がある中で、床屋の女房も、亭主の顔をたてながら政治談議に加わったものだが、大和なでしこの美徳に恥じず、亭主の意見に反することは言わなかったものだ。

今回の野田聖子女史も、そうした大和なでしこの美徳に恥じず、亭主を出し抜いて店の立場を云々するわけにはいかないと、言いたかったのかもしれない。小生は日頃、野田聖子女史の仕事ぶりに感心しているほうだが、今回はいささかがっかりさせられた。この国の首相を目指そうというなら、もっと毅然として自分の意見を主張したらいいのではないか。





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