外科室:坂東玉三郎

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坂東玉三郎といえば、昭和末期から平成にかけて、歌舞伎を代表する女形として活躍した人だ。器用な人らしく映画もいくつか作った。1992年に作った「外科室」は映画人としてのデビュー作で、大きな話題をさらった。泉鏡花の小説をわずか50分足らずで映像化したものだ。

泉鏡花は日本の怪奇小説の元祖のような人だが、わけのわからぬ筋書きのものが多い。なかでも「外科室」はとりわけわけがわからない。そのわけのわからぬものを映画化したわけだから、たいそう苦労したかといえば、そうでもないらしい。二三の脚色を除けば、ほとんど原作通りに映像化している。だから原作のもつわけのわからなさがそのまま再現されている。わけのわからなさを逆手にとっているといった具合だ。

原作は、前半でさる貴婦人の外科手術の様子を描き、その貴婦人が執刀医に謎の言葉をかけながら、メスを自分の胸にさして自殺するところを描写する。そして後半では、その貴婦人と執刀医が、九年前に小石川の植物園で会っていたことが語られる。とはいえ彼らが深い仲に陥ったとは書かれていないのである。むしろこの二人は、小石川で会って以来、手術の日まで会っていなかったとほのめかされているのだ。

映画はその原作をほぼ忠実に再現しているのだが、さすがにそれだけだはドラマにならないので、いくつか脚色している。原作の語り手の画家を、冒頭に登場させて映画の枠組みを紹介させ、また、小石川の出会いのシーンでは、二人が池を隔てて見つめあうシーンを挿入したりといった具合だ。そのシーンでは、勘九郎演じる検校に琴を弾かせている。勘九郎は玉三郎とは仲がよいので、友情から出演したのだろう。

筋書にはドラマ性はないので、映画の魅力は吉永小百合の演技にあるといってよい。この映画に出演したとき、吉永は四十台なかばだったが、いまが女盛りとばかり、実に色気を感じさせる。これには監督をつとめた玉三郎も脱帽したのではないか。その玉三郎は、本来俳優といいながら、自分自身は一切画面に出ない。吉永に遠慮したのかもしれない。





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