佃しま住吉の祭、深川万年橋:広重の名所江戸百景

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(55景 佃しま住吉の祭)

佃島は漁師の島である。家康が摂津の佃村から呼び寄せた漁師たちが、江戸湾の隅田川河口にあった洲を埋め立てて島を造成し、そこを故郷の名にちなんで佃島と名づけた。漁師たちは、漁をして生活する一方、魚介類や海苔を醤油で煮しめたものを自家用の保存食に作っていたが、これが市中にも出回るようになると、佃煮と称されて人気を博した。

漁師たちはまた、故郷の住吉神社を勧請して島の一角に住吉神社を建立し、自分たちの産土神とした。その神社の祭礼は毎年六月に催された。この絵は、その祭礼の様子を描いたもの。

画面手前には住吉大明神と記された巨大な幟がはためき、後景には海に繰り出さんとする神輿の一行が描かれている。この祭礼は漁師の祭らしく、神輿を海につけるのが特徴だった。

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(56景 深川万年橋)

万年橋は、小名木川が隅田川に流れ込む河口付近にあり、いわば小名木川の第一橋梁である。隅田川のこのすぐ下流に永代橋がかかっているので、その向こうを張って万年橋と呼ばれた。

この絵は、万年橋の欄干と、その脇に置かれた手桶がつくる空間から、川の対岸を眺めた構図だが、川の大きさからして小名木川ではなく、墨田川と思われる。実際にどういう角度から見たのか、ぴんとこないところがあるが、広重のこと、そこは必ずしも実見にこだわらない。

川には多くの舟が行き交っている。隅田川から小名木川を結ぶ水路は、行徳と江戸を結ぶ流通の大動脈であった。また、右上には亀が吊るされているのが見えるが、これは売り物だろう。






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