蘆汀双鴨図:渡辺崋山の絵画世界

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渡辺崋山は幼い頃から絵が好きだった。また非常にうまかった。最初は自己流で描いていたが、十六歳の時に、儒学の師鷹見星阜のすすめで画家白川芝山に入門した。だがすぐに排斥された。付け届けがないという理由からである。崋山の家は貧しかったので、息子の授業料もまともに払えなかったのだろう。

十七歳の時に、画家金子金陵に入門した。この人は良師だった。この人の門で、崋山はよき友も得た。生涯の友となった椿椿山、及び滝沢馬琴の息子琴嶺である。椿山には崋山の肖像画が残っている。崋山はまた、谷文晁の指導も受けた。谷は当時の日本画壇を代表する大家である。

崋山の画家としての名声は二十一歳頃から高まった。崋山の絵を求める者も多かった。崋山は絵を売ることで、貧乏暮らしの足しにしたのである。

「蘆汀双鴨図」と題するこの絵は、崋山二十一歳の時の作品。その頃の崋山は、花鳥図をよく描いていた。客に喜ばれ、よく売れたからであろう。蘆の生えた水辺でくつろぐ鴨のつがいを描く。蘆の部分を外隈の技法で描く一方、鴨のオスのほうは、あざやかな色彩で、かつ精密な描き方をしている。

(文化十一年 絹本着色 105×37㎝ 常葉美術館) 






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