犬婿入り:多和田葉子を読む

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「犬婿入り」は、芥川賞をとって多和田葉子の名を一躍有名にした作品ということらしい。それなりに強いインパクトを日本の文学界に与えたようだ。小生が読んでみての印象は、言葉の使い方が非常にユニークだということだ。谷崎のもっともユニークな小説「卍」の語り口を連想させる、非情に息の長い文章からなっている。句点(。)が少なく、長々とした文章が続く。谷崎ほど長くはないのは、さすがに今日の読者には重すぎるためだろう。谷崎は、その息の長い文章を、源氏物語を読むことで身につけたようだが、多和田の場合にも、源氏物語の影響が指摘できるのだろうか。

子ども相手に塾を開いている、おそらくまだ若いと思われる女と、犬の化身ではないかと思われる若い男との不思議な関係が描かれている。その男はある日いきなり女(北村みつこという)の前に現れたかと思うと、女の下半身を裸にして、男の一物を押し込んで来たのだったが、あまりに手際がよかったので、女は反発する余裕も持てなかったほどだ。その様子が次のように表現されている。

「男はみつこのショートパンツを、袋から鞠を出すように、するりと脱がしてしまって、自分はワイシャツもズボンも身につけたまま、礼儀正しく、あおむけに倒れたみつこの上にからだを重ねて、犬歯をみつこの首の薄そうなところに慎重に当てて、押し付け、それからしばらくすると、今度は急に赤くなって、額に、汗が吹き出し、ねばついてきて、膣に、つるんと滑り込んできた、何か植物的なしなやかさと無頓着さを兼ね備えたモノに、はっとして、あわてて逃れようとして、からだをくねらせると、男は、みつこのからだをひっくりかえして、両方の腿を、大きな手のひらで、難なく掴んで、高く持ち上げ、宙にういたようになった肛門を、ペロンペロンと舐め始めた」

こんな具合の、息の長い文章が、ダラダラと続いて行くのだが、注意深く読んでみると、息が長いと感じるのは、句点が少ないからで、読点のほうは、かえって普通の文章より多いほどである。源氏物語は、読点に相当するものも少ないから、というのは、源氏物語にはそもそも句読点などというものがないのであるが、その源氏物語を意識しながらも、読点を多く入れることで、気の短くなった現代の読者にも受け入れられるように、配慮しているのかもしれない。

それにしても、北村みつこは、じつにあっけらかんとしている。一応、抵抗らしいそぶりは見せるものの、男の一物が膣の中に侵入してくるのを、冷静に受け入れている。それも「つるんと滑り込んできた」というのであるから、膣はその前に十分湿潤な状態にあったわけだ。とすると、北村みつこは男を見た瞬間から、その一物を受け入れる準備をしていたと言えないこともない。この辺は非常に微妙なところで、例えば強姦をめぐる裁判で、女のほうは無理やりに押し入られたと言うのに対して、女の膣が濡れていたのは同意していることの証拠だと男が主張することと、ある程度の関連性が指摘できるほどである。

それはともかくとして、男が北村みつこの肛門を「ペロンペロンと舐め」たのは、その男が犬の化身ではないかと読者に思わせるための細工のようである。男はこの他にも、北村みつこの首を噛んだり、下腹部の匂いを嗅いだりと、犬を思わせる仕草を見せるので、いよいよ犬の化身ではないかと思わせるのである。男と一緒に住むことになった北村みつこは、匂いに敏感になったりして、自分自身も犬になったような気がするのだ。

ところで、男が犬の化身ではないかと読者が思うのは、小説の始まりのところで、そのように誘導する工夫がなされているからだ。小説の始まりのところで、北村みつこの教え子たちが、黒い犬にお尻をなめてもらうお姫様の話をするのだが、読者はその話を聞かされたあとで、北村みつおの肛門を舐める男の話を聞かされるので、黒い犬とお姫様に対応させて、男と北村みつこを関連付けるように誘導されるわけである。

小説は、その不思議な男と北村みつこのへんてこな関係を、例のねばねばした文体で描きだす一方で、男の男色趣味やら、みつこがある少女に寄せるこだわりなどを描いていく。その際に読者が不思議に思うのは、男がなぜ同性愛者でありながら、北村みつこと交わるのを喜んだかということだ。バイセクシャルだといえば、答えが見つかったような気になるのは、あまりにも単純な発想だろう。この二つの性愛を結びつけるものとして、肛門を持ち出したのかもしれないが、男は北村みつこの肛門を「ペロンペロンと舐め」るばかりでなく、北村みつこの膣に、自分の男根を「つるんと滑り込」ませて、喜んでもいるのだ。

そんなわけで、多少わかりにくい設定になっている。小説の結末は、男が北村みつ子の教え子の父親と逐電し、北村みつこはその教え子をつれて夜逃げしたということになっているが、なぜそうなったのかについては、何らの説明もない。だから読者としては、何が何だかわからないままに、小説が突然終わってしまうような気にさせられる。そこは短編小説のことだから、あまり欲張らないで読んだほうがよいというアドバイスも聞こえてきそうだが、短編小説には短編小説なりの物語設定というものがある。長編小説でなければ十分に描けないような情報を、短編小説に盛り込もうとするのは、やはり無理がある。この小説は、そうした無理を感じさせるのだが、その無理をチャラにするほど、語り口が巧妙なので、読者はこの小説を読むことに快楽を覚えるであろう。






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