風の丘を越えて:イム・ギョンテク

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イム・ギョンテクは韓国の溝口健二と呼ばれているそうだ。溝口健二には、日本映画の黎明期を代表した巨匠としての側面と、日本人の伝統的な心情をきめ細かく描いたという特徴を指摘できるが、イム・ギョンテクにも同じようなことがいえる。かれは韓国映画の黎明期を代表する監督と評価されており、その作風は韓国人の伝統的な心情をきめ細かく描くというものだ。

1993年の映画「風の丘を越えて~西便制」は彼の代表作である。韓国の伝統的な大道芸能であるパンソリがテーマだ。パンソリとは、太鼓にあわせて物語を語るというもので、日本の説教節とか幸若舞に似ているらしい。日本の語り物は、浪波節を除いて早い時期に途絶えてしまったが、韓国では近年まで受け継がれてきた。2008年にユネスコの世界遺産に登録されたというから、まだ文化財としての価値が失われていないということだろう。

この映画は、西便制といわれるパンソリ芸を披露して歩く旅芸人の一家を主人公にしている。一家は父親と姉、弟の三人からなるが、みな血はつながっていない。姉のほうは孤児を育てたのであるし、弟のほうは、父親がかりそめに愛した女が死後に残した子である。その父親は、二人にパンソリの芸を仕込み、一家で一座を組んで、韓国各地を歩き回っているのである。その描き方が、情緒纏綿として見る者を感動させないではいない。じっさいこの映画は、韓国では空前のヒットになったそうだ。それは日本で伝統演劇が、ヒットするのと同じような現象なのだろう。

映画の見どころは、二人の子どもたちが芸に身を捧げるところと、行く先々で厳しい差別にあうことだろう。その差別はひどいもので、かれらはまともな人間としては相手にされず、畜生並みの扱いを受けるのである。その差別と貧困に絶望した弟のほうは、家族から抜け出て独り立ちをめざす。そしてなにほどかの安定を得た時に、かつての家族の触れ合いが忘れられず、行商するかたわら父と姉とを探し回る。映画はそんな彼が、かつての一家の生活を回想するシーンからなり、最後には姉と巡り合うことができて、一緒にパンソリの演奏をするのである。

もっとも彼らはその後一緒になることはなく、弟は自分の名も告げずに立ち去って行き、姉のほうは再び放浪の旅に出るのだ。その姉が、失明したということになっており、しかも父親が毒を飲ませたせいだというのであるが、何を目的で娘を失明させたか、画面からは明示的には伝わってこない。ただ芸の為にそうしたというふうに、なんとなく伝わって来る。映画のラストシーンは、その姉が小さな子に手を引かれて放浪するさまを写すのである。

そんなわけで、実に悲しい映画である。その悲しさは、韓国人の基層感情といわれる恨(はん)から漂ってくるというふうに作られている。日本人も、山椒大夫の語り物を聞くと、激しく感情がゆすられ、また深い悲しみを感ずるのであるが、それと同じように韓国人も、この映画を見て感情を揺さぶられ、深い悲しみを感じるのであろう。






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