アメリカの唯我独尊戦略にほころび

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アメリカが「米韓ミサイル指針」を撤廃し、韓国に射程800キロを超える長中距離弾道ミサイルの開発を容認したと伝えられた。この報に接した小生は、いくつかのことが念頭に去来するのを抑えられなかった。

アメリカはいままで世界の警察官として振る舞う代わりに、ほかの国が勝手なことをするのを許さなかった。特に東アジアにおいては、地域秩序の維持者として、君臨してきた。日本も韓国もアメリカの軍事戦略の中に封じ込められ、アメリカの意向を超えて勝手なことをするのを認めなかった。そうしたアメリカの戦略的な姿勢を唯我独尊戦略といってよいだろう。それが、韓国については、ある程度の行動の自由を認めたわけで、いままでの戦略に大きなほころびが出始めていることを感じさせる。

それにはやはり、中国の台頭があるのだろう。中国を相手にして、アメリカ一国で立ち向かうのはなかなか厳しい。そこで同盟国を、深くアメリカの戦略にコミットさせる必要が出てきた。その必要性の認識が今回のアメリカの判断につながったのだろう。唯我独尊を緩めて、同盟国に負担を分担させるかわりに、一定の行動の自由を認めようというわけであろう。

アメリカとしては対中国軍事力の強化の一環として、今回、韓国の長中距離開発を認めたということらしいが、韓国では中国を刺激するのを控えて、対中軍事力の強化は念頭にないと言っている。当面は、北朝鮮脅威に備えるという口実のようだが、韓国の真意は対日関係にあるのではないか。いまや日韓関係は戦後最悪の状態であり、両国だけの話し合いで解決する可能性は見えない。いままではアメリカが間に入って日韓を結びつけてきたが、その神通力がきかなくなりつつある。そうした状態の中で韓国としては、日本の対韓野心を警戒するようになったのではないか。日本は韓国との過去の問題を棚上げして、自分の言い分を押し付けるようになっている。かれはかつての帝国主義的発想が日本で高まっていることの現われである。そう韓国は認識して、対日軍事力の強化と新たな戦略を本気で考えるようになったのではないか、と思われるフシがある。

アメリカの世界戦略には、二つの大きな特徴があった。圧倒的な軍事力を背景にアメリカの利益を追求すること、またそのアメリカに世界を同調させるために「民主主義」などの「普遍的価値」を御題目に使ってきたことだ。この二本柱のうち、アメリカ軍事力の圧倒的な優位という状態はほころびつつある。アメリカはもはや世界の警察官として、あらゆる国際問題にかかわる余裕を失いつつある。

アメリカが御題目としてきた「普遍的な価値」についても、その有効性に疑問が持たれつつある。これまでは、アメリカのそうした言い分に正面から逆らう動きはなかった。日本でさえもが、アメリカの御題目に便乗して、「民主主義の普遍的な価値」について説教するのが好きだったほどだ。しかし、そうしたアメリカの御題目を、二枚舌と言って批判する動きが公然と出てきた。アメリカは中国政府のウィグル人弾圧をジェノサイドだと言って口を極めて非難しているが、イスラエルのユダヤ人がパレスチナ人相手に行っている大量虐殺については口をつぐんでいる。そのほかにも、アメリカの都合にあわせて価値を云々することが多い。そんなアメリカを世界は次第に信用しなくなりつつある。

韓国の自主防衛力強化の動きは、地域の軍拡競争を促し、やがては核武装にまで発展していく可能性がある。韓国が核武装すれば、中国は核武装を一層強化するだろうし、日本もまた核武装への強力な動機を持つようになるだろう。それはある意味自然な流れと言うべきかもしれない。今まで東アジアが核なしでやってこられたのは、やはりアメリカの圧倒的な存在があったからだろう。日本も韓国も、アメリカの核の傘に護られているという幻想にもとづいて、核武装を放棄してきた。そのアメリカの核の傘があてにならないとしたら、独自の核武装に踏み込むのは合理的な選択である。

核武装することで、少なくとも非対照的な劣位という状態からは解放される。非対照的な関係において、劣位にある者が、圧倒的な強者からどのような仕打ちを受けるかは、ユダヤ人によって勝手なことをされてきたパレスチナ人の状態が明白に物語っている。非対照的な関係にあっては、圧倒的な優位にある側は、あまり余計なことを心配しないで、相手側を好きに始末できるのである。それが世界史の教訓というものである。

その他にも色々思うところはあるが、それらについては、追々語っていくことにしたい。





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