バルビゾン派の画家たち

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バルビゾン派の画家たちは、印象派の画家たちと並んで、日本人には馴染みが深い。ミレーやコローなどの高名な作品を所蔵・展示する美術館は日本各地にあるし、またミレーの有名な絵は日本の代表的出版社のロゴにも使われている。日本人なら小学生でさえも、バルビゾン派に属する画家の名を知らないものはないほどである。

バルビゾン派の名の由来は、バルビゾンという小さな村にある。この村はパリの南東60キロのところに位置し、広大な森フォンテーヌブローの入口にあたっている。そこに1830年代後半から多くの画家が住み着いた。かれらを受け入れたのはガンヌの宿であった。この宿は1824年にオープンしたあと、コローの友人たちなどが集まってきたのだったが、後に多くの画家たちのたまり場となり、一時は100人以上に上ったという。ここを拠点として広がった美術運動をバルビゾン派というのである。

バルビゾン派は、単純化して言うと、自然主義的な写実を重んじる画風である。運動として広まったのは1830年代以降だが、その頃はドラクロアを中心としたロマン主義芸術が最高潮を迎えていた。自然主義は、そのロマン主義とは正反対な画風であり、写実を重んじるとともに、自然を表現した風景画や、働く人々の暮らしぶりを丁寧に描いた。コローは、フランスの風景画に新しい流れをもたらしと画家として、ミレーはフランスの名もない民衆の生活ぶりを謙虚な姿勢で描いた画家として知られる。またクールベは、それらを総合した形で、風景画と民衆画を一体化させ、また社会主義運動にも関心を示した。そんなわけで、一口にバルビゾン派といっても、色々な流れを抱えていたわけである。

バルビゾン派のリーダー格というべきはジャン・バティスト・カミーユ・コローである。コローは豊かな家に生まれ、経済的な基盤がしっかりしていたので、若い頃から画業に専念することができたし、経済的に困窮していた仲間の画家、たとえばミレーを援助したりしている。イギリスやオランダの風景画を研究し、フランスに新たな風景画の流れを作った画家としての位置づけがなされる。バルビゾンやフォンテーヌブローとのかかわりは若い頃から深く、1830年代のはじめにはフォンテーヌブローの森を描いた風景画を多数描いている。1840年代後半にはバルビゾンに根拠地を移し、文字通りバルビゾン派の長老的な存在となった。バルビゾン派の画家たちのなかでは、次世代への影響力をもっとも強く発揮し、印象派への道を開いたとも評価される。

ジャン・フランソア・ミレーは、コローより18歳年少で、ノルマンディーの田舎の村グレヴィルに農家の子として生まれた。絵心はあったようだが、才能はなかなか開かず、また生活費にもこと欠く有様だったので、金持ちの肖像画などを描いて糊口をしのいでいた。才能が広く認められるようになるのは、1848年のサロンで「箕を振るう人」が好評を得たことによる。この作品は、働く人をテーマにしたもので、以後ミレーは労働をテーマにした作品を多く手がけることとなる。「落ち葉拾い」や「種撒く人」といった日本人にも馴染みの深い作品は、そうしたミレーの労働への視線を強く感じさせるものである。そのミレーも、1840年代後半以降にはバルビゾンに移り住んで、バルビゾン派を代表する画家として認められるようになった。

ギュスターヴ・クールベはミレーより更に三歳年少で、バルビゾン派の最後を飾る画家である。若い頃から社会主義思想に強い関心を示し、とくにプルードンの影響を受けた。そんなこともあって、クールベの絵には政治的なメッセージを込めたものが多いと言われる。だが彼の真骨頂は、「オルナンの埋葬」や「画家のアトリエ」といった、寓意的な印象を与える大作であって、コローやミレーとは一線を画するものがある。だからクールベをバルビゾン派に含めるのは無理があるという指摘もある。本人はそんな分類にはこだわらず、自由奔放な創作活動を行った。かれの創作活動の特にユニークな面は、女性の裸体画に見られる。クールベの裸婦像は、女性器を露骨に表現するなど、ポルノまがいのところもあって、後のピカソの裸婦像を予見させる。女性への関心とともにクールベを特徴付けるのは強烈な自己愛である。クールベは希代のナルシストという評判をとっているくらい、自分への特殊なこだわりをもっていた。そのこだわりをストレートに画面に表現したものもある。

バルビゾン派の画家としては、このほかにテオドール・ルソーやコンスタン・トロワイヨンなどがいる。ルソーは風景画家としてはコローに先んじて名声を確立し、トロワイヨンは動物画に新境地を開いた。このほかにも大勢の画家が、バルビゾンを拠点にして活躍した。ここでは、以上で具体的な名に言及した画家たちに焦点を絞って、それらの代表的な作品を取り上げ、適宜解説・批評を加えたい。(写真はバルビゾンにあったガンヌの宿、現在はバルビゾン派博物館になっている)






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