天皇は余計なことを言うな:菅内閣のいら立ち

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五輪開催によってコロナウィルスの感染が広がることについて、天皇が懸念を表された旨のことを宮内庁長官が発表したところ、加藤官房長官が早速反応し、それは宮内庁長官の個人的見解であって天皇の言葉ではないという趣旨の発言をした。

加藤官房長官の発言は、宮内庁長官の発表にあった「拝察」という言葉を根拠にしているらしいが、日本の皇室をめぐる伝統では、天皇の言葉は、むき出しのかたちで、ストレートに言及することは憚られ、間接的に表現されてきた。だから、宮内庁長官が「拝察」したのは、あくまで長官の個人的見解であり、天皇のものではない、とは言えない。だいいち、天皇がコロナウィルスに深刻な懸念を抱いておられることは周知のことだ。その懸念が今回の事態に現れたと受け取るのは、ごく自然なことである。

にもかかわらず、加藤長官がかかる発言をしたというのは、自分たちにとって都合の悪いことはないことにしたいという、例の幼稚な考えに出たことだろう。

それにしても、不遜な言い方ではないか、天皇が国民の命を心配されているのに、そんな天皇の気持を踏みにじるようなものだ。そればかりではない。たとえ天皇といえども、菅内閣に逆らうことは許されない。菅内閣にとって不都合な発言をするのなら、いっそ黙っているべきだ。少なくとも余計なことは言うな。そんな菅内閣の尊大な姿勢が如実に伝わって来る加藤官房長官の発言だ。

加藤官房長官のこの発言は、五輪の行く末に不安を抱いている菅首相の気持を忖度しているのだろう。菅首相がなぜここまで、つまり国民の命を犠牲にしてまで、五輪の開催にこだわるのか、あまり説得力のある説明はない。ただただ、五輪への頑迷固陋といってよいこだわりと、五輪に疑問を呈する動きに対するいら立ちが伝わってくるだけである。

このまま、天皇の気持を踏みにじってまで、五輪を開催し、その結果悲惨な結果を招いたら、その張本人である菅首相は、国民の前で腹を切るくらいの覚悟をしておくがよい。






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