ローサは密告された:フィリピン社会の闇を描く

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2016年のフィリピン映画「ローサは密告された」は、現代フィリピン社会の闇を描いた作品。現代のフィリピン社会には多くの不条理が蔓延しているといわれるが、この映画が取り上げるのは、麻薬の蔓延と権力の腐敗である。どちらもドゥテルテ政権と深いかかわりがあるので、この映画は、痛烈なドゥテルテ批判ということができる。そんな映画がフィリピンで作られたということは、ある意味すさまじいことだ。

小さなコンビニを経営している家族の物語だ。ローサはその家族の母親だ。その店では、アイスと称して覚醒剤の密売もやっている。亭主もその覚せい剤の中毒だ。その店に警察の手入れが入り、夫婦とも警察署に連行される。そこで取調べを受けるわけだが、警察官は賄賂をよこせば見逃すという。どうやらこの連中は、権力をたてにとって私服を肥やしているようなのである。

金がないというと、麻薬の売人を売れといわれる。そこで麻薬の売人をおびき寄せて警察に捕らえさせる。警察はその売人にも取引を持ちかける。売人が警察署の上層部に直談判しようとすると、殴る蹴るの暴行を加える。結局売人は自分の支払い能力に応じて金を払う。警察官は、不足分をローサたちに払えという。

ローサと子どもたちは必死になって金の工面をする。男の子は同性愛者の男にオカマを掘らせてまで金の工面につとめる。必死になってがんばった結果、なんとか金の工面ができる。ほっとしたローサの顔を映しながら映画は終わるというわけである。

こういう光景が、現代のフィリピン社会では日常茶判事だと思わされるのは、ドゥテルテによる異様な麻薬取締りが世界中に報道されたためだ。ドゥテルテは対麻薬戦争を宣言して、膨大な数の人間を摘発した。その摘発は猛威を究め、無実の人も巻き添えを喰ったといわれる。この映画の中では、いずれも麻薬取引に実際にかかわった人々なので、冤罪とはいえないが、警察の無法行為の餌食になった点では、五十歩百歩といえよう。

ドゥテルテのキャンペーンの恐ろしいことは、市民に密告を奨励したことだ。そのために大勢の無実の人がひどい目にあっただけでなく、市民の間に深刻な分断を生んだ。誰もが他人の目を気にして暮さねばならない。いつなんどき密告されて、腐敗した警察の餌食にならないともかぎらない。そういう恐怖を抱きながら生きているのはさぞ辛いだろう。脛に傷をもつローサのような人でさえ、メチャクチャな目に会うのだから、無実の人には耐えられない恐怖だろう。そのローサは売人を密告したわけだが、自分自身は近所の青年に密告された。密告のつけまわしだから、自分を密告した他人を恨むわけにはいかないのだ。

そんな具合にこの映画は、フィリピン社会の腐り切った側面をあぶりだした作品であり、究極の権力批判映画である。クレジット上はローサが主演になっているが、真の主演者は腐敗した警察なのである。なお、この映画は闇を描いているわけで、画面の大部分は夜である。





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