吉田裕「日本人の戦争観」

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吉田裕著「日本人の戦争観」(岩波現代文庫)は、アジア太平洋戦争(吉田は十五年戦争という)についての、戦後の日本人の見方を分析したものである。その見方を大雑把にいうと、20世紀から21世紀への世紀の変わり目にかけて、大きな変化があるという。この時代になると、戦争を知らない世代が多数派になり、戦争を感覚的に忌避する人々の割合が少なくなったという事情を背景に、いわゆる歴史修正主義が大きなうねりとなってきた。それまでの日本人は、あの戦争を正面から肯定したり賛美したりしたことは、基本的にはなかった、ところが、あの戦争はアジア解放のための戦争だと言いつのったり、日本がアジア諸国に与えたさまざまな損害について否定したり、日本にとって都合のいい再解釈がなされるようになった。これは、根拠のないことではない、というのが吉田の見立てのようだ。日本人の間には、あの戦争を忌避する一方、日本の責任を認めたくないという思いもあったが、それを表立って言ったことはなかった。国際社会を慮ってのことだ。ところが、世紀の変わり目にいたって、そういう配慮を不要とする意見が強くなった。それが歴史修正主義の台頭をもたらしたというわけである。

戦後日本でまず広範に成立した戦争観は、対外的な立場と国内的な立場を使い分けるいわゆるダブルスタンダードであった。これは、アメリカを始めとした諸外国に対しては、日本の戦争責任を認める一方、国民に対しては、その被害感情を促進させることはあっても、日本の戦争責任とか加害責任を頑として認めないというものだった。これは、日本がサンフランシスコ体制に入るにあたって東京裁判の結果を受け入れることを条件としていたため、諸外国に対しては、日本の戦争責任を否定することがほぼ不可能だったという事情に基づく。その一方で国民に対しては、日本の戦争責任を否定するような動きが主流となり、国民のほとんどもそれを受け入れた。国民の皮膚感覚としては、被害者意識を前面に出して、戦争はもうたくさんだとする一方、日本がアジア諸国に対して与えた損害については、ほとんど意識することさえなかった。

こうした事情の背景には、日本が、ドイツと違って、戦争責任を厳しく追及されることがなかったことがあると吉田はいう。ドイツの場合のフランスにあたるような国が、幸か不幸か日本にはなかった。日本による侵略の最大の被害者であった中国は、内戦のためもあって国家として日本の戦争責任を追及する余裕がなかった。また、フィリピンやインドネシアなど、日本に侵略されたアジアの諸国も、宗主国によって牽制され、日本に対して戦争責任を追及する動きにつながらなかった。サンフランシスコ体制は、こうした事情のもとに成立したのであって、東京裁判の受け入れという形式的な責任には言及したものの、日本の戦争責任を組織的に追求しようとする意欲には欠けていた。天皇の戦争責任がまったく問題にならなかったのは、その象徴的な現われである。その背景には、米ソ間の冷戦があったという。その冷戦に日本を利用しようとするアメリカの意向が、日本の戦争責任追及を中途半端なものにした。その結果日本は「寛大な講和」を結ぶことができ、戦争責任を気にすることなく、復興に専念することができたというのである。

こんな次第であるから、日本人の戦争観は、アメリカを中心とした西洋諸国との戦争をめぐって語られることが多く、無謀な戦争という言葉も、対アメリカの関係で語られた。中国はじめアジア諸国との関係は、戦争責任の問題としては、ほとんど意識化されることがなかったのである。それは、ダブルスタンダードの成立から21世紀の今日まで、日本人の戦争観を基本的に規定している。それゆえ日本は、中国や韓国といったアジアの近隣諸国との間で、いまだにいざこざが絶えず、強い信頼関係が結べないでいる。福沢の「脱亜入欧」思想が、国民の意識の節々まで浸透し、日本はアジアの近隣諸国を見下げる態度が身にしみてついている。そうした国々に対して日本は、いまでも兄貴分として振る舞うことにこだわり、謙虚に向き合うことが出来ないでいる。

こうした流れが日本人の戦争観を貫いたわけだが、しかし日本が自らのアジアに対する戦争責任を認めたこともあった。1980年代以降、非自民等政権を中心にして日本の戦争責任を素直に認める発言が出るようになったし、また、従軍慰安婦の問題などで、具体的な加害行為に対して賠償するような動きもあった。吉田のこの著作がカバーしているのは二十世紀末までなので、その後の動きは視野に入っていない。21世紀には入ると、小泉政権による露骨な靖国参拝とか、安倍政権による慰安婦問題の否定とか、再び日本の戦争責任を否定する動きが活発化し、それが歴史修正主義の横行につながっている。

歴史修正主義の横行には一定の理由があると吉田はいう。戦争を体験した世代がいなくなりつつあるというのが決定的であるし、また、若者の意識の中でも、戦争責任の問題はあまり浮かび上がってこない。それはやはり教育の問題でもあるだろう。ドイツと違って日本では、若者を相手に自国の戦争責任を考えさせるような教育を行ってこなかった。それゆえ、アジアの隣人からいきなり日本の戦争責任を持ち出されると、驚いたり反発したりするのである。一時、「新しい歴史教科書を作る会」などが中心となって、歴史修正主義が教育の現場に持ち込まれたことがあった。それは大きな動きとはならなかったが、確実に教育への影響を持つことが出来た。最近の教科書では、日本にとって都合の悪い事実はなるべく触れないでおこうとする出版社側の忖度がいきわたり、その結果、「作る会」が意図したような方向に進んできているという分析もなされている。

この本はまた、庶民レベルでの戦争観の変遷についても丁寧に触れている。元軍人による回想録の出版とか、漫画や雑誌での戦争ものの流行などをとりあげ、日本人が、一方では戦争や軍隊を忌避しながら、もう一方では、日本人の軍人としての優秀さに自己陶酔する傾向があることにも触れている。吉田自身は、少年時代にはいわゆる軍人オタクであり、少年雑誌の戦争ものとか、軍事雑誌「丸」を耽読したことに触れている。小生もまた、少年時代に「丸」を耽読したことがある。その社会的影響力は結構強かったようで、小生の中学時代の同級生には、「丸」にかぶれて本格的軍事オタクになったものもいた。

この本にはもう一つ、昭和天皇の戦争責任を厳しく問うというところもある。天皇が生きている間は、天皇の戦争責任は一切否定され、かえって天皇は平和主義者だったというような言説が支配的だったのだが、天皇の死をきっかけにその戦争責任の問題もおおっぴらに論じられるようになり、昭和天皇がかなり主体的に戦争遂行に関っていたという事実が明らかにされてきている。吉田はそういう事情を背景にして昭和天皇の戦争責任を問題にするのだが、その意図は、昭和天皇の免責が日本の戦争責任の棚上げに大きく働いていたということを明らかにしたいということらしい。





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