不良少年:羽仁進

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1961年の映画「不良少年」は、羽仁進によるドキュメンタリー・タッチの作品である。不良少年たちの非行振りと、それがもとで少年院に入れられた少年たちの日常を描く。朝日という一少年に焦点をあて、かれを追う形で同時代の不良少年が抱えているさまざまな問題を浮かび上がらせようとするような演出である。

この朝日という少年は、父親を戦争でなくし、母親とも離別して、根無し草のような暮らしをしている。映画が作られた1961年には18歳ということになっているから、当時沢山いた戦争孤児とよく似た境遇にある。そんな境遇に放置されれば、まともに生きていくわけにはいかないので、盗みや恐喝を繰り返すようになる。なかには両親がいる不良もあるが、そういう連中は何時の時代にもいるならず者であり、朝日のような少年とはかなり異なった印象を与える。といったような内容の映画である。

半分は不良少年たちに寄り添い、半分はかれらに厳しい目を向けるといった、両義的な視線を感じさせる映画である。

監督の羽仁進は、戦う学者と呼ばれ当時有名だった羽仁五郎の息子だ。父親の強烈な正義感を、この息子も受けついたフシがあるが、その正義感が、不良少年たちの境遇に対する同情に結びついたわけだろう。

羽仁進はまた、当時女優として人気がった左幸子と結婚したのだったが、左の妹時子に手を出した。これは幸子にとってはひどい仕打ちだったはずだ。その上娘までが母親を疎むようになったというから、幸子としては二重に足蹴にされたといってよい。小生がこんなことを言うのは、左幸子を女優として高く評価しているからだ。

羽仁は映画監督としては大成せず、この作品が線香花火のようなものになった。

映画の中身に戻ると、この映画の見所は少年院の暮らしぶりだろう。少年院というから、未成年ばかりが収容されているわけだが、そこにはすでに擬似大人社会が形成されている。徳川時代の老名主を思わせる序列制度とか、旧日本軍の私刑を思わせる凄惨な暴力とかが、迫力をもって描かれる。そうしたしごきを通じて、少年たちは一人前の大人になっていく、といった当時の日本の人間矯正システムともいうべきものが、赤裸々に表現されている。そこの部分には一見の価値を認めてもよいのではないか。





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