化身:東陽一

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東陽一の1986年の映画「化身」は、渡辺淳一の同名の小説を映画化した作品。原作は、前年の1985年から同年にかけて日経新聞紙上に連載され、大いに評判になった。これは要するによく工夫されたポルノ小説なのだが、当時は男の間でポルノ小説が人気になっていて、そうした時代の風潮に日経が乗じたかたちだった。日経としては、企業戦士たちの味方として、日々奮闘しているかれらのための息抜きとでも思って、ポルノでは定評のあった渡辺に書かせたということだろう。渡辺はその期待によく応え、この作品はかれの代表作となった。

渡辺は医者ということもあって、人体を即物的に描く才能に富んでいる。その才能で、男女の濡れ場を、あたかも解剖現場を見せるように克明に描写したので、同時代の好色な男たちから絶大な支持を勝ち取ったわけである。渡辺自身も、自分の書いた濡れ場を楽しんだのではないか。とにかくかれにはスケベ親爺としての資格が十分にある。

ポルノ映画であるから、基本は男女の濡れ場を濃厚に描くことにある。その男女を藤竜也と黒木瞳が演じている。藤竜也はポルノの似合う俳優で、阿部定に殺されて一物を切り取られる男を演じたりしている。一方黒木のほうは、宝塚のヒロインから銀幕に進出して、いきなり濃厚な濡れ場を演じ、一躍好色な男たちの女神格になった。ヒラべったい胸で、腰もそんなに大きなわけではなく、また顔つきにもみだらさは感じられないのだが、これが濡れ場を演じさせると天下一品の演技を披露する。とくにあれの最中にあげるよがり声がエロチックだ。彼女のよがり声は、無論見せかけだと思うのだが、それにしては迫真性がある。まるであそこを突き上げられておもわず悶えているといった風情を、自然に演じるのであるから、どんな男も悩殺されてしまう。

一応小説らしい筋書きはあるが、それはポルノの濡れ場を盛り立てるための周辺的な装置であって、別になくてもすむような代物だ。小説もそうだが、映画の場合には一層、濡れ場に迫真性を持たせることが重要なのである。黒木の演技は、その迫真税の期待に十分応えている。彼女を見た好色な男たちは、俺にも抱かせてほしいと思ったに違いない。ともあれ、時代の風を感じさせる映画である。その風はピンク色をしていたというわけだ。





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