ハイネは、日本では抒情詩人として知られていた。「いた」というふうに過去形で書くのは、いまではハイネを読む日本人はあまりいないからだ。ともあれハイネの抒情詩は、同時代人のメンデルスゾーンをはじめ、シューマンやシューベルトなど高名な作曲家が曲をつけたことで、世界中の人々に歌われることとなった。そういう抒情的な詩はいまでも好まれるようだが、ハイネの詩人としての資質は、むしろ政治的な詩において発揮されているといえる。ハイネは政治意識が非常に高く、そのため官憲ににらまれてフランスに亡命を余儀なくされたのだった。それでもなお、政治意識が鈍ることはなかった。若いころから死にぎわまで、ハイネはやむに已まれぬ政治的な憤慨を詩というかたちで表現し続けたのである。ここでは、そんなハイネの政治詩をいくつかとりあげ、その特徴のようなものを見てみたい。
ハイネは、生涯にわたっておびただしい詩を書き、折に触れてそれらを詩集にまとめて出版した。主な詩集としては、「歌の本」、「新詩集」、「ロマンツェロ」及び「雑録」などがある。「歌の本」は、その名の通り抒情的な詩が多く、それらは曲をつけられていまでも歌われている。それら抒情的な詩にまじって、すでに政治的な意識を強く感じさせるものがいくつか指摘できる。たとえば「囚人の歌」
うちの婆さん リーゼのやつをたぶらかしたとき
みんなは 婆さんを火あぶりにしようとした
役人がインクを紙に塗りたくったけど
婆さん いっかな白状なんぞしなかった
とうとう釜におしこめられて
人殺しい と悲鳴をあげた
どす黒い煙が立ちあがったとき
婆さん 鴉になって空へ飛びあがった
黒い翼の生えてる おれの婆さん
この塔のなかに訪ねてきておくれ
さあ すぐ鉄格子から飛び込んで
チーズと菓子を持ってきておくれ
黒い翼の生えてる おれの婆さん
鴉のお仲間にどうかよろしく
おれの目玉をついばなかいようにって
明日にゃあ おれも空に飛んでくんだから(井上正蔵訳、以下同じ)
これは、ドイツ全体を牢獄にたとえ、そこに住んでいるドイツ人を囚人にたとえたものだ。この詩は「ロマンツェ」と題した一群に含まれている。そこには明らかに政治的な意味合いの詩が集められているのだが、そのほかにも、暗示的な形で政治的な意味を込めた作品がある。
次に「新詩集」から。これには「時事詩集」が付録としてついていて、極めて政治的な意図を感じさせる詩が多くおさめられている。まず「あべこべの世の中」
いやはや世の中あべこべじゃわい
みんな頭で歩いてござる
漁師が束でダースずつ
鴫の鉄砲で撃たれてござる
いまじゃ子牛がコックをあぶり
人間の背に駑馬がまたがり
教義の自由と権利のために
旧教の梟が闘争しおる
あのヘーリンクが革命化し
ベティーネさんが真実をしゃべり
長靴はいた牡猫のやつが
ソフォクレスをば上演しおる
・・・
流れにさからい泳ぐじゃないわ
無駄な努力じゃ さあ皆の衆
それより登ろうテンプロー山へ
口をあわせて国王万歳
真と虚偽がさかさまになったドイツを鋭く風刺したものだ。次の「開眼」もドイツを風刺したもの。
ミッヒェルどうだ夢から
さめたかい いい加減に気が付いたろう
一番上等の肉汁が 君の口に
入らないうちにすりとられるのに
そのかわり君に約束されてたのが
清く輝く天国の喜びなのさ
あそこでは天使たちが肉を入れずに
浄福の料理をこしらえるそうな
ミッヒェルとはドイツの異名である。そのドイツに向かって覚醒せよと呼びかけているわけだ。「時事詩集」にはこのほか、「シュレージエンの職工」など過激な詩も含まている。これらの詩を書いたとき、ハイネはあのカール・マルクスと親しくしていた。マルクスから革命精神をたきつけられて、政治的に先鋭化したのだと言われている。
「ロマンツェロ」からは、「ルンペン根性」と「遺言状」を取り上げたい。「ルンペン根性」は、強者に対して卑屈なドイツ人を皮肉ったものだ。
金持ちをまるめるにゃあ
ひらべったいおべっかにかぎる
金はひらべったいもんだろう
だから ひらったくまるめこむんだ
みごとな黄金のまえへいったら
香炉を思いっきりふってやれ
塵や糞のなかでもおがんでやれ
だがほめるからにゃ ほめちぎるんだ
ことしゃあパンの値段が高い
されどお世辞は
いまでも無料だ 旦那衆の
犬をおだてて たらふく食うこった
遺言状を詩にするのは、フランスではヴィヨン以来の伝統があるが、ドイツにはそんな伝統はない。ハイネはこの詩「遺言状」によって、新たな伝統を作ろうとした。
どうやら命も終わりに近い
遺言状でも書いておこうか
これでもおれはキリスト教徒
おれの敵にも遺産をやろう
尊敬すべき徳望高い
敵の諸君に遺ってやろう
あらゆるおれの悪疾病毒
四百四病の長病を
遺産の品は釘抜きみたいに
腹わたをよじりつける疝痛と
小便つまりと底意地わるい
プロシャもどきのこの痔疾
悪寒の痙攣もくれてやる
だらだらよだれと手足のしびれ
背骨の髄の灼けただれ
みんな素敵な賜物ばかり
遺言状には添え書きしよう
神の御慈悲で
てめえらの
悔やみなんざあ まっぴらだ
ハイネは晩年にいたるまで、政治的な詩を書き続けた。そしてそれらを「雑録」という形で出版した。これには比較的長い詩が多い。その中から、「奴隷船」と「ロバの選挙」を取り上げよう。「奴隷船」は、アメリカがらみの奴隷貿易を批判したものだ。アメリカで奴隷制度が廃止されたのは、南北戦争が終わった1860年代のこと。ハイネがこの詩を作った時には、まだ奴隷貿易が現実に行われていたはずだ。
船荷親方ミンヘール・ヴァン・ケークが
自分の船室で勘定している
積み荷の総額と
たしかなもうけを計算している
ゴムはよし 胡椒はよろし
三百俵に三百樽
砂金もあるし象牙もある
黒い売り物なおよろし
六百人もの黒ん坊をセネガル河で
二束三文で手に入れた
筋肉はかたく張っている
まるでとびきりの鉄の鋳物だ
ところがその奴隷どもが次々と死んでいく。奴隷は生き物だから死ぬのは仕方がない。しかしあまり死なれると商売にならない。そこでこの奴隷商人は苦しい時の神頼みをする。是非奴隷たちの命を守ってくださいというのだ。それは無論人間愛から出たことではない。金銭愛から出たことだ。
「ロバの選挙」は、おそらく1848年の二月革命を経てフランスに導入された普通選挙を皮肉ったものだろう。フランス人はこの普通選挙を通じて、独裁者を生んだのである。
とうとう自由にあきがきて
動物共和国では
たった一人の王様の
絶体支配をあこがれました
いろんな種類の動物があつまり
選挙が始まったのです
党派心がおそろしくかき立てられ
陰謀がくわだてられました
ロバ党を牛耳る幹部は
年よりの長耳たちでした
この連中は頭に黒・赤・金の
勲章をつけていたのです
少数のウマ党もありましたが
とても発言などできません
年よりの長耳たちのものすごい
喚き声に怖くなったからです
こんな具合に選挙の結果独裁者が誕生するさまを皮肉っぽく描いている。ロバ党は、ドイツの保守勢力を連想させるように書かれているが、おそらくドイツを悪者にしながら、その実フランスのブルジョワジーを皮肉っているのだろう。詩の中でウマ党とよばれているのは、プロレタリアートだと思われる。二月革命はそもそもプロレタリアートの力で起きたものだが、その果実はブルジョワジーが独占した。そのあげく、自分たちのために働いてくれる男を、独裁者に選んだのだ。マルクスが「ブリュメール十八日」の中で散文の形で分析したものを、ハイネは詩の形で表現したわけである。
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