百合の聖母:ミュシャの世界

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ミュシャは1904年に初めてアメリカに渡り、その後もたびたび訪れた。アメリカは成金国家で、美術品への需要が高く、有利なビジネスが期待できた。そこでミュシャは既存の装飾絵画を売りさばく一方で、注文制作にも応じた。そうした作品には、油彩画やテンペラ画も含まれていた。ミュシャはリトグラフの装飾画家として名を挙げたのだったが、本来的には油彩の大作への意欲を強く持っていた。

「百合の聖母」といわれるこの作品は、もともとユダヤ教会の装飾プロジェクトの一環として制作された。プロジェクトが沙汰やみになったため、単独作品として紹介された。白百合に囲まれた聖母と、スラブ衣装に身を包んだ少女を描いている。

この少女は、以前自分のアトリエで撮影した少女の写真をもとにしている。写真と比べてみると、ほぼ忠実に再現していることがわかる。もっとも写真に比べると、こちらの少女のほうがインパクトのある表情をしている。

聖母を取りかこむ白百合は純潔の象徴であり、少女が手に持つ蔦の葉は、追憶をあらわすという。聖母とスラブの少女を組み合わせたのは、スラブ民族に聖母の慈愛が及ぶようにとの期待を表現したのだろう。

(1905年 カンバスにテンペラ 247×182㎝)





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