裸体美人:萬鉄五郎の世界

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萬鉄五郎は、明治四十五年(1912年)3月に、上野の東京美術学校を卒業した。「裸体美人」と題したこの作品は、卒業制作として描かれたものだった。いまでは重文に指定されて、萬の代表作と見なされているが、発表当時教師たちの評価は低く、卒業生19名のうち16番目の成績だった。当時の美術学校は、せいぜい印象派を吸収したばかりであって、まだ西洋美術の新しい流れを消化できるまでには至っていなかったからである。

萬自身、この絵は、西洋の後期印象派(ゴッホなど)やフォービズム(マチスなど)とかの影響を受けたと延べている。とくにマチスの影響を見ることができる。構図的にはリアルさを全く無視して自由なイメージを表現しているし、また色彩は、赤を中心にして明るさを強調しながら、その赤を補色の緑と組み合わせることで、ダイナミックな躍動感を演出している。

こういう絵は、当時のアカデミックな美術界には、なかなか理解できなかったのだろうと思う。なにしろ、後期印象派はともかくとして、フォーヴィーズムらキュビズムなど、当時ヨーロッパで勃興しつつあった新しい美術運動は、ほとんど日本には知られていなかった。萬など、一部のもの好きが、ヨーロッパで刊行されつつあった美術カタログなどを通じて、わずかに知るくらいであった。それも、ほとんどはモノクロ写真での紹介で、原色に接することはできなかった。そういう状況の中で、萬が新しい美術運動を、色彩感を含めて吸収していたことは、彼の熱心さを物語るといってよい。

絵をよく見ると、背景の描き方や、女の横たわっている草むらの描き方などは、手本というものは見当たらず、萬独特の表現である。その女のポーズが、人を小ばかにしているように見えて、面白い。

(1912年 カンバスに油彩 162×97㎝ 東京国立近代美術館)





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