ケス:ケン・ローチの映画

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ケン・ローチの1969年の映画「ケス(Kes)」は、かれにとっては二作目である。ケン・ローチは21世紀に入って活躍した印象が強いのだが、映画作りは1960年代から始めたのである。しかし色々な事情があったらしく、20世紀中はなかなか活躍できなかった。それが21世紀にはいるや、俄かに巨匠と呼ばれるような活躍を始めるのである。それには時代の変化があったのだと思う。ローチは社会的な視線を強く感じさせる作風であり、社会の矛盾を描くことに情熱を感じていたが、20世紀の後半はそうした矛盾が一時遠のいていた感があり、21世紀にはいって以後、グローバリゼーションの広がりの中で、格差とか分断といったものが深刻化した。そうした時代の変化が、ローチに活躍の機会を与えたと言えなくもない。

「ケス」という映画は、人間の少年と鷹の幼鳥との触れ合いをテーマにした作品だが、真のテーマは、人間と動物との触れ合いではなく、人間社会、とりわけイギリス社会が抱える問題をえぐりだすことにある。ビリーと呼ばれる主人公の少年は、母親及び兄とともに、さびれた炭鉱町に暮らしながら、地元の中学校に通っている。中学校では、体が小さいこともあって、どちらかといえばいじめられる立場だが、しかしいじめにめげているわけではない。出来る範囲で大きな少年に立ち向かっていくし、また頭のいかれた教師の折檻には冷笑を以て応えるしたたかさもある。かれの真の問題は、母親及び兄との間の家族関係にある。母親は、母子世帯を切り盛りする立場上、家のことに神経を使っていられない。子供たちはだから、なかば育児放棄された状態にある。兄はともかくビリーはまだ、親の世話が必要なのだ。ところが母親は、子供の面倒より自分の快楽のほうを優先する。兄といえば、一応炭鉱で働いていることになっているが、これも遊ぶことばかり考えている。そんな家族に囲まれながら、ビリーは孤独をかこつほかないのだ。

そんなビリーにとって、鷹の幼鳥を育てることが生きがいになる。たまたま森の中を歩いていた折に、開けたところにある岩山の上空に鷹が飛んでいるのを見かけたビリーは、翌日その場所を訪れ、鷹の巣にいた幼鳥を奪ってくるのだ。本屋で鷹についての本を万引きして、鷹の育て方を研究する。鷹の幼鳥はそんなビリーになつく。ビリーは、工面して肉を手に入れては鷹の幼鳥にあたえ、調教めいたことに成功するのだ。

鷹はビリーに取って生きがいであり、また、誇りでもある。鷹を手なずけるビリーに畏敬を示す生徒もいる。国語の教師はビリーと鷹との間柄に関心を持ち、他の生徒の前で、鷹のことを話させたり、みずから鷹を見に来たりする。とにかく鷹のことになるとビリーは幸せな気分になれるのである。

その鷹のケスが、兄によって殺されてしまう。理由は、ビリーに馬券を買うように命じたにかかわらず、買わなかったことだ。かれが指示した馬券のナンバーは、結果的に大穴の当たり馬券だったはずなのだ。そこで金をもうけそこなった腹いせに、弟の可愛がっていた鷹のケスを殺したというわけなのだった。

映画は、死んだ鷹を埋葬するビリーの表情を映しながら終わる。愛する鷹がなぜ殺されねばならなかったか、その理由の一端が自分にあることをビリーは理解できるのだが、それにしても、関係のないケスに殺されるいわれはない。そんな無念な思いが、ビリーの表情から伝わってくるのである。





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