大地と自由:ケン・ローチの映画

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ケン・ローチの1995年の映画「大地と自由(Land and freedom)」は、スペイン内戦の一コマを描いた作品。スペイン内戦は、左派の連合政権である人民政府に、ナチスやファッショの支援を受けたフランコが仕掛けたもので、1936年7月に始まり、1939年4月にフランコ側の勝利に終わった。この内戦には、フランコに反発する人々が、欧米各地から義勇兵として参加した。ヘミングウェーやオーウェルなどが知られている。ヘミングウェーが自分の行為の意義をどの程度理解していたかについては疑問があるが、オーウェルの場合には、自由を守るという大義があった。しかし、彼が味方した人民政府側が、雑多な勢力の寄せ集めであり、その勢力のなかで親ソ連派が優位に立つと、反フランコよりも親ソ連派のヘゲモニー確立のほうが優先され、かえって敵を利することになった事態に、オーウェルが深い幻滅を感じたことは、よく知られている。

この映画は、オーウェルと同じような視点から、スペイン内戦を描いているといってよい。スペイン内戦は、人民政府側とフランコの間の戦いだったはずなのに、親ソ派(スターリニスト」が有力になると、他の勢力を駆逐して自分たちのヘゲモニーの確立に血眼になる。それでは、スペイン内戦に義勇軍として参加した意味がないではないか、というのが、この映画の発するメッセージである。

イギリス人の一青年が、スペイン内戦に義勇兵として参加する。彼が投じた部隊はFOUMといって、いわゆるトロツキスト主体の部隊である。人民政府側は、そのほかに、親ソ派(スターリニスト)、アナーキスト、社会民主主義者の寄せ集めであったが、次第にスターリニストが優勢に立つ。それにつれて、対フランコの戦いより、仲間同士の諍いに焦点が移っていく。そうした中で、主人公のイギリス青年は、イギリス共産党の党員ということもあって、親ソ派に親しみを感じる。しかし、FOUMの主流派や、青年が愛する女性はスターリニズムを嫌悪している。というわけで、青年は完全に孤立していく、といったような内容である。

スペイン内戦当時の青年の行動を、青年の死後、かれの孫娘が追いかけるという形で映画は展開していく。映画の冒頭は、祖父の死の床で孫娘が祖父の遺品を整理するところを映し、映画の進行に合わせて適宜孫娘の表情が映し出され、ラストシーンでは、孫娘が祖父の棺に向かってかれの遺品を投げ与えるところが映し出される。

この映画の眼目は、人民政府側の内部分裂であり、その分裂の責任は新ソ派にあるという主張だ。映画の主人公の青年が、イギリス共産党員として、新ソ派に傾いているので、ある種のねじれが生じている。通常の場合なら、映画の主人公が正義の体現者のように振る舞うはずなのに、この映画の中の主人公は、スターリニスト寄りの、中途半端或いは否定的な人間像として描かれているのである。

それには、ケン・ローチ自身の政治的なこだわりがあるのだろう。ローチは労働党左派であり、普段は過激な発言をしたりもするが、基本的にはコミュミズム嫌いだと思われる。そのローチが、スターリニズというかたちをとったコミュニズムに嫌悪を感じるのは不思議ではない。

なお、タイトルの「大地と自由」は、新ソ派が農民たちを懐柔するために土地の共同所有政策を打ち出したことへの皮肉を込めている。農民を含めた反フランコ派が真に求めているのは、とりあえずは土地の共有ではなく、自由なのだと言いたいわけであろう。






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