安倍国葬によせて

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安倍晋三元首相の国葬があった日(9月27日)、小生はパソコンが壊れてしまい手持ちぶさただったせいもあり、その様子をテレビ中継で垣間見た次第だった。パソコンが壊れた理由は、ウィスキーのハイボールをぶちまけてしまったこと。そのためハードディスクがクラッシュし、BIOSが駆動しなくなってしまった。こうなると、もうお手上げである。重要なデータのいくつかは前日にバックアップをとっておいたので、全滅にはいたらなかったが、それでも今年分の日記とか備忘録的なデータが消滅してしまった。そういうわけで、国葬を見て感じたことを、当日中にブログに載せることができなかった。だが、あたらしく取り寄せたパソコンが二日後には届いたので、今日(7月29日)には、こうしてネットにアクセスすることができるようになった。

先日、岸田首相の政治姿勢を論じた文章の中で、岸田首相の独善的な傾向を指摘し、その典型例として今回の国葬問題に言及した。そこで小生は、この問題については多くの国民が関心を持っており、それなりに自分の意見を表明していることを踏まえて、それに余計な意見を付け加えることはないと書いたのだったが、じっさい、葬儀の様子からはしらけた印象が伝わってくるだけだった。

国葬というのは、おそらく全国民が何らかの形で弔意を表明することを前提としたものだと思う。ところが、今回は弔意をしめすどころか、国葬に反対する意見のほうが多数だった。それではとても国葬の名には値しないので、これはやはり失敗だったといわざるをえない。小生も、国葬自体に強く反対するわけではないが、しかし実施に至った経緯があまりにもお粗末だったと考えている。そこに岸田首相の強権的な姿勢を見るばかりである。

岸田首相としては、こんな結果は予想していなかっただろう。おそらく政治的な思惑から国葬を利用しようと考えたのだと思うが、ここまで世論が分断したのでは、かえってマイナスの政治的効果しか得られない。この国葬を通じて、安倍晋三という政治家をおしいただいてきた連中が仲間内で盛り上がったというムキがあるかもしらぬ。だが、日本という国をトータルにとらえた場合には、問題の多い国葬だったといわざるをえない。





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