護られなかった者たちへ:瀬々敬久の社会派人間ドラマ

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瀬々敬久の2021年公開の映画「護られなかった者たちへ」は、生活保護制度をめぐる人間の怨念をテーマにした社会派ドラマ。それに東日本大震災をからませてある。社会問題を背景にして人間相互の葛藤を描くのは、瀬々の基本的な傾向として指摘できるが、この映画はそうした瀬々らしさを最もストレートにあらわれた作品。

東日本大震災の際に、避難所で知り合った三人、佐藤健演じる青年利根と、倍賞千恵子演じる老婆、そして中学生くらいの女の子カンちゃん。この三人は、たまたま避難所で出会ったのだったが、互いに心を許しあえる間柄になる。流されずに残った老婆の家で一緒に寝たりする。老婆はひとりぐらしで、極貧の境遇だ。そんな老婆を青年と少女は心配する。数年たったころ、老婆が餓死寸前だということを知った二人は、生活保護を受けるように説得し、一緒に役所を訪れて申請をするのだが、役所の対応は不親切そのもの。老婆は申請を取り下げるはめになり、それがもとで餓死してしまう。これが、映画全体の伏線となる。

一方、阿部寛演じる宮城県警の刑事は、やはり震災の津波で妻子を失い、老婆たちのいる避難所に情報を求めてやってくる。この時点では、三人と刑事とは接点を持たないのだが、やがて運命の皮肉を知るはめになる。

映画は、震災から9年後の2020年を基準点として設定する。その時点で、似たような殺人事件が二度続けて起こる。二人とも役所の生活保護の担当者だった。事件を担当した刑事は、生活保護をめぐる怨恨事件と目星をつけて捜査する。その結果、申請の際に役所とひと悶着を起し、役所に放火した罪で服役していた利根が容疑者として浮かび上がる。利根を追求したところ、あっさりと自白したので、刑事はかえって疑念を抱く。

刑事は、利根が誰かをかばっているのではないかと思ったのだ。その誰かとは、かつて利根と一緒に避難所にいた少女であった。その少女はいまや、成人して役所の生活保護担当のケースワーカーになっていた。その彼女がなぜ、かつての役所の担当者たちを殺す気になったのか。その疑問の解明が、この映画最大の見どころになっている。

というわけで、技法的には推理ドラマ仕立てなのだが、本当の狙いは生活保護をめぐるさまざまな抑制的措置システムへの批判にある。その抑制措置は、とりあえずは役所によって遂行されるが、しかし、役所のみならず、社会全体が生活保護の受給者に対して不寛容なことで、そうした抑制が加圧されている、というふうに伝わるようになっている。

その役所の高圧的な態度に、利根は激しく怒り、その怒りを放火という形であらわしていたので、当然かれが犯人だと思われるのだが、実は二十歳になったばかりのカンちゃんがやったことだったというのが、非常にショッキングである。彼女はか弱い身体で大の男を襲い、廃屋に引きずり込んだ挙句、ぐるぐる巻きに縛り上げて放置し、餓死させるのである。餓死させるという選択は、老婆を餓死させた者らへの復讐のもっとも相応しい形なのであった。

こんなわけで、ミステリータッチで観客をやきもきさせながら、社会の抱える問題にも気づかされるというのがこの映画のミソである。

最後に、安倍演じる刑事が、佐藤演じる利根と和解する場面が印象的である。利根は、安倍のおぼれ死んだ子を助けられなかったことにトラウマのようなものをもっていた。それを知った安倍は、助けようとしてくれたことに感謝すると答える。それはそれとして、自分はカンちゃんをまもることができなかった、といって利根は心が静まらぬのを感じるのである。





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