ガルブレイス「ゆたかな社会」を読み返す

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ガルブレイスの「ゆたかな社会」の邦訳が岩波から出版されたのは1978年のことだ。すぐさまベスト・セラーになった。その背景には当時の日本社会がもっていた勢いのようなものがあった。当時の日本経済はまだまだ上り坂であったうえに、ようやく人々が「ゆたかさ」を実感しつつあった。だから、豊かな社会をテーマにしたガルブレイスのこの著作は、すとんと腑に落ちるものがあったといえる。

この著作の目的は、豊かになったことでもたらされる余裕のようなものを、適切に配分することで、公正な社会を実現しようということだ。ガルブレイスがことさらそういう目的を掲げたのは、彼が生きている社会が十分豊かになったにかかわらず、依然として貧しい時代の考え方の名残が社会の大勢を占め、その結果公正な社会の実現とはほど遠い状況にあるという認識があったからだ。ガルブレイスの認識によれば、ルーズヴェルト以来追及されてきた政府による市場への介入政策が、自由主義者を中心にした勢力によって見直しを迫られ、ルーズヴェルト以前の自由主義時代へ逆行する動きが出てきている。そうした動きをけん制しながら、引き続き政府が市場に介入することによって、あまりある豊かさを公正に配分することをめざすというのが、この著作の中でガルブレイスが追及したことだった。

そんなわけだから、この著作には、二つの重大な試みが含まれている。一つは豊かさの背景となった実体経済の変化を明らかにすること、もう一つは、豊かさをいかにして人々の間に配分するかということだ。前者は既成の主流派の経済理論への大胆な批判につながり、後者はある意味社会主義的な問題意識につながっている。とはいってもガルブレイスは自覚的な社会主義者ではないし、ましてやコミュニズムとは無縁といってよい。豊かさを公平に分配するという機能は民主的な政府によってしか担えないという理由から、政府による市場介入に一定のお墨付きを与えるにすぎない。そういう点では、一種の社会改良主義者といってよい。

主流派の経済学は、すでに通用しなくなっている通念のうえに成り立っているとガルブレイスは批判する。その通念は、大きく二つの柱からなる。一つは生産こそが最大の目的であり、生産を阻害するものはすべて悪であるいう考えである。もう一つは、完全競争の市場モデルを至上の前提とし、その競争を妨げるもの(大きな政府とか労働組合のような独占的な圧力団体)は極力排除されねばならないとする考えである。

前者(生産至上主義)については、もはや昔のように生産の能力・規模が経済活動の制約となる時代ではなく、需要の創出が経済の規模を決定するというケインズ的な主張を持ち出し、いまや生産は昔のように第一義的ではなくなってしまったので、生産を至上命題とする主流派の考えにも根拠が失われたとする。いまは生産が問題なのではなく、どうやって需要を創出するかが問題なのであり、それを解決するために、民間企業は広告に励んでいるのであるし、政府は政府で有効需要の拡大に努めている。そんな時代に古臭い生産至上主義(ガルブレイズは言及していないが「セーの法則」と呼ばれるような考え方)はもはや意義を失ったと主張するのである。

後者の完全競争モデルについては、ガルブレイスは独占が進んだことを根拠にしてその有効性に異議を唱える。市場の完全競争という前提については、マルクスもまた採用していたところだから、非常に根の深い信念といわねばならない。マルクスもまた独占企業の存在については意識していたが、その行動が市場のメカニズムに決定的な影響を及ぼすとまでは考えていなかった。ガルブレイスは、独占企業が市場の動向に決定的な影響を及ぼすようになったことを指摘することで、主流派の完全競争モデルを痛烈に批判したのである。

そのような認識に基づいてガルブレイスは、生産ではなく需要を重視した立場と市場への政府の介入による適正なバランスというものを重視する立場を強調したのだった。ガルブレイスがバランスと呼ぶのは、社会階級相互の公正な関係とか、政府と民間企業との適正な役割分担のようなものをさす。そうしたバランスを重視することを通じて公正な社会を実現したいというのがガルブレイスの意図なのである。

そうしたガルブレイスの意図は、1970年代の日本では比較的スムーズに受け入れられた。当時の日本には豊かさへの実感がみなぎっていたし、そうした豊かな社会の実現に政府が果たした役割についても自覚的だった。言ってみれば、日本社会はガルブレイスの主張の有力な実験場のように思われたのである。

ところがアメリカでは、ガルブレイスを素直に受け入れる土壌はなかった。1970年代にはすでに、自由主義的な思想が力強く復活しつつあり、ガルブレイスがこの著作で主張したことと正反対の政策が有力になりつつあった。そうした傾向は、1980年代にさらに強まり、いわゆる新自由主義の全盛時代を迎える。そういった傾向が強まるなかで、ガルブレイスの主張はますます異端視されるようになった。

そのガルブレイスを今日改めて読むことにどのような意義があるか。今日の世界は、いわゆるグローバリゼーションが進行し、それを新自由主義が誘導したために、古典的な資本主義システムが世界規模で展開されるようになった。ガルブレイスの主張を裏書きするような方向ではなく、古典的な資本主義システムが世界規模に広がったために、いまの世界は、ガルブレイスが批判したような矛盾を多く抱え込むことになった。そんな時代だからこそ、ガルブレイスを読み返す意義があるのだと考えたい。





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