白痴:ジェラール・フィリップの出世作

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今年(2022年)は、かつて大変人気のあったフランスの映画俳優ジェラール・フィリップの生誕100年とあって、日本でも記念上映会が催されている。小生もジェラール・フィリップのファンで、ルネ・クレールものの「夜ごとの美女」とか「悪魔の美しさ」といった映画がとりわけ気に入っていた。記念上映会でもこれらの映画が上映されているが、中には小生のまだ見ていない作品もある。そこで、気軽に入手できる範囲で、未見の映画を見る気になった次第。

1946年の映画「白痴(L'idiot ジョルジュ・ランバン監督)」は、ジェラール・フィリップにとって出世作となった作品だ。ジェラール・フィリップという俳優は、非常に説得力のある演技ぶりで、見ているものをおもわず虜にしてしまう力を持っている。その力が特に女性には威力を発揮するらしく、欧米はもとより、日本のような極東の国の女性たちをも熱中させたものだ。そうした魅力が、かれにとって二本目となるこの映画の中でいかんなく発揮されている。かれが演じているのは白痴なのだが、その白痴が人の心を深くゆさぶるような雰囲気をもっている。映画の中でこの白痴は、自分自身をキリストになぞらえるようなセリフをいうのだが、じっさい映画の中で彼に接した人間たちは、かれをキリストの再来ではないかと思わせられるのだ。

ロゴージンとナスターシャの関係に多少脚色があるほかは、筋書きの概要は原作をほぼ踏まえている。ムイシュキン公爵は、人々から「白痴」と呼ばれているが、それは精神薄弱という意味よりは、世間を引っ掻き回す軽薄な男という意味で使われている。じっさいこの映画の中の、フィリップ演じるムイシュキン公爵は、どんな場合にあっても自分の考えたことをそのままストレートに表現し、まわりをあたふたさせるのである。

日本の黒沢明が作った「白痴」に比較すると、原作により忠実だし、ムイシュキンの天衣無縫な振舞いもよく表現されている。そのムイシュキンの人柄がジェラール・フィリップという人間と自然に重なって見えてくる映画である。





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