服部茂幸の著書「偽りの経済政策」(岩波新書2017年)は、アベノミクスの一環として日銀が行った金融政策を厳しく批判したもの。その政策を服部は、時の日銀総裁黒田某の名にちなんで「黒田日銀」と呼んでいる。黒田日銀は、発足当初二年以内に二パーセントの物価上昇を、つまり適度のインフレを公約したが、四年以上たったいま(2017年時点)でもそれを達成できていない。また経済成長も達成できておらず、庶民の生活もよくなっていない。これは明白な公約違反だが、黒田日銀はその責任をとろうとしない。達成期限を先延ばしにしたり、これまで実現できなかった原因を外部事情に転化したり、無責任な姿勢をしめしている、というのが批判の主な内容である。
黒田日銀が掲げた理屈は、インフレターゲットを設定し、それを実現すれば、自動的に物価が上昇し、それにともなって景気もよくなるというものだった。こういう考え方を小生は全く間違っていると思っている。黒田日銀の理屈では、インフレをおこせば景気がよくなるということだが、インフレは景気の原因ではなく結果だというのが常識だろう。結果をもって原因をつくるというのは倒錯した考え方だ。人は幸福な気分になると顔が紅潮するということを根拠にして、顔を紅潮させれば幸福な気分になると言っているようなものだ。びんたをくらわしても顔は好調するから、ひとを幸福にするためには、びんたをくらわせばよいという理屈になる。
もっとも服部自身は、そういうことは言っていない。インフレターゲットを設定することで、インフレマインドが生じ、それが物価上昇をもたらし、物価の上昇が賃金の引き上げをもたらすという推測は、全く根拠のないことではないとまで言っている。だが実際には、黒田日銀の見込みは実現しなかった。その理由は、基本的には、庶民の購買力の前提である賃金が上がらなかったことだ、というのが服部の基本的な見方である。では、服部のいうとおり、庶民の購買力(賃金)を上げれば、望ましい結果が得られるかといえば、そうはならないだろうというのが、服部の推測だ。服部によれば、日本はもはや(賃金上昇に必要な)成長のための動力を失っているということらしい。
服部の目論見は、経済論争をすることではなく、黒田日銀のあまりにも無責任な姿勢を非難することにあるようだ。黒田日銀は、その場のくるしまぎれの言い訳を続けるあまりに、自分を否定するようなことをしている。要するに支離滅裂だというのである。支離滅裂な人間を相手にまともな論争などできるわけはない。そういう諦念のような感情がこの著作をいろどっている。小生もまた、黒田日銀の不誠実な姿勢は、国民をぺてんにかけるようなものだと思っている。服部はそこまで露骨な言い方はしないが、しかし黒田日銀の不誠実な姿勢にはかなりな怒りを感じているようである。その怒りが、読んでいてひしひしと伝わってくるのである。
なお、服部は、黒田日銀の金融政策は、アメリカのFRFの金融政策をモデルにしたものと推測している。FRBを率いたバーナンキが今般ノーベル経済学賞をもらったことで、バーナンキの主張するリフレ派の経済学説にお墨付きが出たという風に受け取るものがいるらしいが、何もノーベル経済学賞が経済理論にお墨付きを与えるわけではない。ノーベル経済学賞は、世界の銀行業界が後ろ盾となってつくられたもので、銀行に設けさせた経済学者を顕彰するものだ。バーナンキの場合には、2008年の金融恐慌にさいして、銀行を救うために働いたというのが授賞の理由であることはミエミエである。
これは余談だが、服部は雑誌「世界」の最新号(2023年1月号)によせた論文「長期停滞と混迷する経済政策」のなかで、アベノミクスの失敗と黒田日銀の破綻について総括的な評価をしている。それによれば、アベノミクスは日本の経済を縮小させたのであり、また黒田日銀は、金融政策が経済成長には無力だということを証明したことになる。
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