鈴木大拙「禅の思想」を読む

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鈴木大拙が「禅の思想」を書いたのは昭和十八年(1943)、大拙七十三歳のときのことだ。後に自身のもっとも会心の著作はなにかと問われて、この「禅の思想」と「浄土系思想論」をあげたというから、大拙が禅について書いたおびただしい文章のうちで、これをもっとも納得できるものと思っていたのだろう。要するに禅についての自分の考えを、もっとも要領よく書けたということと思われるが、だからといって決してわかりやすい読み物ではない。

禅者は「不立文字」という言葉を好んで使う。「文字を立てず」と読むが、どういう意味かというと、禅の体験は言葉で伝えることはできないということだ。言葉というものは、分別の現れといってよいが、禅の体験は分別を超えたところに成立する。つまり無分別なものである。無分別なものは、それ自体としては、言葉では表現できない。ところが、その無分別は分別の全否定ではない、とも言われる。禅者は「無分別の分別」という言葉も好んで使う。「無辺別の分別」とは、分別をいったん否定したうえで、しかもその無分別が分別と異なったものではないというような意味である。要するに、分別を否定したうえに成り立つ無分別の先に分別があるということである。これが、我々凡俗にはなかなかわからない。

禅者が語る時には、この「無辺物の分別」を語っているという。禅の体験とは、本来言葉で表せるようなものではないが、しかしそれでは、他者との関係が断絶され、人間は孤独に陥らざるをえない。孤独は孤独として生きる上での意味を持つが、しかし人間というものは、他者との絆なしでは生きられないように出来ている。他者との絆を媒介するのは言葉である。だから自分の体験したことを他者に向かって言わんとすれば、勢い言葉によらねばならない。しかし言葉とは本来分別の上に成り立っているものである。その言葉を用いて、「無分別の分別」たる禅の体験を語るということになれば、その言葉は流暢というわけにはいかない。禅の体験は、言葉によっては、全く適切な表現ができないというわけではないが、しかしすらすらと流暢に表現できる筋合いのものではない。体験の様相を、そのまま論理的に説明するというわけにはいかず、逆説的な表現を多用せざるをえないようになっている。

こうしたような事情を踏まえたうえで、大拙は、自分なりに禅の思想を、読者であるところの他者に伝えようというのである。その伝え方に大拙は苦労してきたが、この「禅の思想」という著作において、一応自分なりに納得できる伝え方ができるようになった。そうした大拙の満足感が、この本からは伝わってくるのである。だが、先ほども言ったように、この本は決してわかりやすくは書かれていない。それはものごとの本性がしからしめるのである。

大拙はこの本の構成を、禅の思想、禅の行為、禅問答の順に並べた。禅は単なる思想にとどまらず、かといって行為(禅定)だけでもない。思想と行為が不可分に結びついている。しかしてそれを複数の人間の間で共有するためには、通常の分別的なコミュニケーションでは無理がある。そこに禅問答の意義がある。そう大拙は考えたわけだが、その考えを、全体の序文の中で次のように述べておる。「知的に云えば、禅は無知の知、無分別の分別であり、行の面からすれば、無行の行、無作の作である。しかし、人間は何と云っても思想なしに生きて居られぬのであるから、禅にも何か自らを道取する方法がなくてはならぬ。それが禅問答である。本書はこのようなわけで、知、行、問答の順で編まれたのである」

こういうわけで、知、行、問答に相当する各章は、第一章「禅思想」が「無知の知ー無分別の分別」、第二章「禅行為」が「無効用の行為ー無作の作」の解明にあてられ、その総合的な実践としての禅問答へと続いていく構成になっているわけである。「禅問答」をとりあえず脇へおいて、「禅思想」と「禅行為」との関連についてのさらに詳しい説明が、第一章「禅思想」の冒頭にある。いわく、「一言で云うと、禅の思想は、無知の知、無念の念、無心の心、無意識の意識、無分別の分別、相非の相即、事事無礙、万法如如など云う成語・成句で表詮せられる。禅の行為は、無功用の功用、無行の行、無用の用、無作の作、無求の求などと説明せらる。禅について、何か叙述したり、説明したりしようと思うと、いつも逆説的文字を須いることになる。此処に禅思想の超越性があると云える。禅は常人の常語では道取しつくされぬのである。どうしても非常の言語、即ち矛盾に充ちた原語をたよらぬといけない」

第一章の「禅思想」について、大拙は達磨以下禅の祖師たちの言葉を引用しながら、その概要を説明している。達磨の「二入四行観」及び「安心法門」、三祖僧璨の「信心銘」、六祖慧能の弟子神会の「頓悟無生般若頌」、曹洞宗の中軸思想を作ったといわれる石頭の「賛同契」、そして宏智並びに道元の「座禅箴」である。大拙自身は、若年の頃円覚寺に参禅して以来臨済宗に親しんできたのであるが、禅を思想的に解明するについては、曹洞宗に依拠したのである。

まず、達磨の「 二入四行観」。これは道に入るには、理から入るのと行から入るのと、二通りがあるということである。理とは「法の理」ということで、要するに抽象的な原理の如きものである。一方行とは具体的な実践の如きものである。その二つが一体的にならねばならぬというのが、「二入」という言葉の意義である。次に「安心法門」は、心についての説である。心には、一人一人の個別的な心がある一方で、すべての人間に共通する普遍的な心というものがある。個別の心は、普遍的な心を離れてはならぬ。常に個別の心でありながら、普遍的な心と融通しあわねばならぬ、というようなものである。「二入」の説も「安心」の説も、個と普遍との関係について述べたもので、個は個でありながそのまま普遍を具現しているという主張を含んでいる。こうした主張は、道元に集約される曹洞宗の根本的な考えであるが、そうした考えが、禅を中国にもたらした達磨の説に既に含まれていたと大拙はいうのである。

大拙は又、禅者が雄弁の伝統を保持する所以を祖師達磨の姿勢にもとめている。達磨も「不立文字」と云ったのであるが、「不立文字と云いながら、旺んに文字を立てて、その不立文字を文字化せんとするのはなぜか。一方では、絶対に不可能であるものを、他方ではその可能を説くのみならず、更に現実として論じて居るのは、どんなわけか」と大拙は言う。それは、禅が、個人の個人としての救済にとどまるのみならず、人間性という普遍的な領域にコミットするものだということを、達磨が理解していたからだ、と大拙は言いたいようなのである。

以下、祖師たちの文章を引用しながら、禅の思想的なエッセンスを大拙は解明していくのであるが、ここではその詳細については触れない。ただ別稿で、道元について触れたものについて考えてみたい。






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