ゴーゴリ「外套」を読む

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ゴーゴリの短編小説「外套」を評して、ドストエフスキーが「われわれは皆ゴーゴリの『外套』から生まれたのだ!」といったことはよく知られている。ドストエフスキーがそういった理由は、ゴーゴリのこの小説が、かれを含めたロシアの作家たちの模範となったということだ。それほどこの小説は、ゴーゴリ以後のロシア文学に決定的な影響を与えたのである。

では、この小説の何がロシアの新しい文学に影響を与えたのか、が問題となる。この小説の新しさは、技巧的な面と題材的な面とにわけて考えることができる。技巧的には、心理描写のきめ細かさとか登場人物の行動についてのリアルな表現が指摘されよう。要するにリアリズムに徹しているのである。当代の偉大な文学批評家ベリンスキーはゴーゴリを評して「リアリズムの巨人」と言ったが、たしかにゴーゴリにはそういう面がある。ゴーゴリ以前のロシア文学の旗手といえば、十歳年上のプーシキンということになるが、プーシキンは基本的には詩人気質の文学者であって、リアリズム小説の作家という分類はなじまない。ロシア文学にリアリズムを持ち込んだのはゴーゴリなのであり、そのゴーゴリがロシア近代小説の父と呼ばれることには相応の理由がある。

題材の面でいうと、この小説がとりあげているのは、首都ペテルブルグに暮らす下級役人とか、下層社会に生きる庶民といったもので、要するに当時のロシアの庶民の生活がテーマである。ロシアの庶民は、二つの階層から形成されており、その階層とは、一つは役人であり、もう一つはそれ以外の人々である。この二つの階層に属する人々のうち、人間として扱かわれるのは役人たちであり、それ以外の庶民は存在価値を認められない。役人にしても、地位によって厳然と差別されており、上位の地位の役人にとっては、自分より下位の役人はほとんど存在意義を持たないに等しい。存在意義を持つとすれば、自分の威光を、かれらにいばりちらすことによって、確認できる限りにおいてである。じっさいこの小説に出てくる役人たちは、その地位にふさわしい行動をする。地位の低い役人は、地位の高い役人に対して卑屈になり、地位の高い役人は地位の低い役人に対して、意識的に尊大な態度をとる。

こういう人間関係は、非常にメカニックなものであり、血の通った関係とは縁遠い。ロしアにおける人間関係というのは、それぞれ割当てられた自分の役割をそつなく演じることが肝心なのであって、その役割を超えて過大に演じてはいけないし、かといって過少に演じてもいけない。役割に応じた演じ方のパターンがあるのであって、それに忠実でなければならないのである。こうした硬直した人間観は、地位の高い人間には異様に尊大な態度をとらせ、地位の低い人間には滑稽なほど卑屈な態度をとらせる原因として働く。さきほどロシア人の階層差別について言及したところだが、それを拡大解釈してロシア人を分類すると、ロシア人というのは、異様に尊大な人間と滑稽なほど卑屈な人間とに分類できるのである。

小説のあらすじをいうと、首都のある役所に勤める下級役人が、よれよれになった外套を恥じて、無理をして新しい外套を仕立てたはいいが、おろしたその当日に二人組の追いはぎには剥がされてしまい、そのことをはかなんだ末に死んでしまうというものである。かれを死に追い詰めたのは、外套を取られたことへの怒りというよりも、そのことについての社会の仕打ちなのであった。警察はじめ首都の役所はかれの申したてを無視するし、かれの同僚たちもほとんど無関心である。外套をとられたのはその持ち主の私的なことがらにかかわることで、そんなことに周りがかかわりをもついわれはないのだ。だいたい、王道上で外套を剥ぎ取られるということ自体が、人を小馬鹿にした話であって、まともな人間ならそんなことにかかわってはいられないのである。

話しにはおまけがついていて、それは外套の持ち主だった男(アカーキイ・アカーキエヴィッチ」が幽霊となってペテルブルグの町をさまよい、人々の肝をつぶしたというものだ。その幽霊は、自分の外套をとった追いはぎを恨むというよりは、自分の不幸に無関心だった社会全体を恨んでいるふうなのであった。

この小説を書くについては、ゴーゴリは自分自身が体験した下級官吏としての生活を参照したという。その生活ぶりがかれにとって苦い思い出をともなうものだったらしいことは、この短い小説の脱稿までに一年半を要したことからも察せられる。彼は当初、長年念願だった猟銃をやっと手に入れた小役人が、その日のうちにそれを川に落としてしまったという話をきいて、それに触発される形で小説を構想したのであったが、それに自分自身の苦い体験を盛り込んだことで、なかなか筆が進まなくなったようなのである。

ともあれ、この小説に出てくる小役人の生き方は、ロシア人の典型的な生き方を表しているというふうに受け取られ、その後のロシア文学にとって、ロシア人の一つの典型として参照されるようになった。チェーホフの小説を彩る優柔不断な男たちは、その原型をゴーゴリの「外套」の主人公アカーキイ・アカーキェヴィッチにおっているのである。






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