自然主義作家たち:加藤周一「日本文学史序説」

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明治時代になって文学の世界にも西洋の影響が及んできたとき、日本人はそれを日本風の独特のやり方で受け入れ、独特の文学を作り上げた。それを一言でいえば自然主義文学の流行である。自然主義文学といっても、ゾラに代表されるような、科学的な方法意識に基づいたものではなかった。科学とは全く縁がなく、ただひたすら作家自身の日常の体験、それもどうでもいいような些事にこだわった小説を書いた。こういう小説は、作家の私生活に題材をとっているということで、私小説と呼ばれた。なぜ明治の日本に私小説の文化が生まれたのか、それには理由があると加藤は言う。日本には、平安時代の女房文学以来の私小説的な伝統があった。その伝統が西洋文学に触れた時、新しい衣装をまとった明治の私小説世界が出来上がったというのである。

徳川時代までは、日本の文学は、知的に洗練された様式的な世界を作り上げてきた。だから文学は、誰にも書けるというわけにはいかなかった。ところが明治時代になると、西洋文学の影響によって、文学作品は平易な日常語によって、身近な話題を書けるようになる。要するに誰でも小説家になれる条件が整ったのだ。しかし、何を書いたらよいのか、作家たちはとまどった。そこで日本文学の伝統を引き合いに出した。自分自身のことを書けば、それでなんとか小説の体裁が整うことに、かれらは気づいたのである。かくして、自分自身を小説の題材とする特異な文学ジャンルが日本に成立した。それを日本文学の当事者たちは自然主義文学といったが、さきほども指摘したように、ゾラなど西洋の自然主義文学とは、まったく似たところがないと加藤は言うのである。

加藤によれば、ゾラに代表される西洋の自然主義文学の特徴は、①科学的(生物学的)方法を踏まえ、②広大な社会的視野を備え、したがって作家自身を主人公とはせず、③市民社会を対象とする。これに対して日本の「自然主義」文学は、これらいずれの特徴もない。科学的ではなく情意的であり、広大な社会的視野ではなく作家自身の些細なことがらに視野が限定されており、市民社会ではなく、因習的な人間関係を描いている、というのである。

日本の自然主義作家として加藤があげるのは、花袋、独歩、藤村、白鳥、泡鳴らである。面白いことにこれらのうち、花袋を除く四人はキリスト者だった経歴を持つ。かれらはみな田舎から東京に出てきた連中だったが、東京において孤独をかこたずにはいられなかった。そこで他者との連帯を媒介するものとして、キリスト教にひかれた。動機は浅かったから、その分彼らの棄教も早かった。棄教によって空いた穴は、文壇が埋めてくれた。かれらは仲間内のサークルとして文壇をつくり、そこに入りびたることによって、精神的な安定を得ることができた。だから、文壇というのは非常に日本的な現象だったわけである。これは、平安時代の女房作家たちが、閉じられた空間のなかで連帯しあっていたことのパロディみたいなものだったのである。

明治の自然主義作家のうち加藤がもっとも重視するのは正宗白鳥である。藤村らほかの棄教者と比較して、白鳥は棄教後もキリスト教への関心を捨てなかった。そこは藤村らが棄教後キリスト教を全く意識しなくなったこととは違っている。日本では、キリスト教徒の割合はごく少数(1パーセントをこえたことはない)であり、キリスト教徒でないことにたいした理由はいらなかった。ところが白鳥は、キリスト教を捨てることに理由をつけなければ気が済まなかった。白鳥にとってキリスト教は、なんとなく遠ざかるようなものではなく、自覚的に否定されるべきものだったのだ。だが白鳥には、キリスト教にかわる信念の体系はなかった。そこでかれは勢い、世の中を斜めから見るような皮肉れた態度をとるよりほかなかった。加藤によれば、白鳥は「あらゆる信念体系やイデオロギーに対して懐疑的な、日常生活の経験に即しての実際的な立場から」キリスト教を相対化したということになる。もっとも白鳥は晩年になってキリスト教に復帰しているのであるが。

いずれにしても明治の自然主義作家たちは、自然主義と称しながら私小説を書き続けた点では共通している。その特徴を簡単に言えば、日本の伝統的な土着思想を体現していたということである。その伝統的な土着思想を加藤は「此岸的日常的な土着世界観」と読んでいるが、それを藤村らが意識していなかったのに対して、白鳥はそれを鋭く意識していた。だから、藤村らを伝統即自、白鳥を伝統対自と加藤は呼ぶのである。

加藤の自然主義作家論は、正宗白鳥を中心にしており、私小説のチャンピオンと目されるべき徳田秋声への言及はほとんどない。秋声は、キリスト教に縁がなく、また社会的な関心もほとんど持たず、ひたすら自分自身の卑小な日常生活をだらだらと書き続けたのであったが、そうした創作態度は、日本の自然主義を代表するにふさわしいとはいえ、まともな議論に耐えるような対象ではないと、加藤は思ったのではないか。たしかに秋声の小説の如きは、日本人の感性が凝縮されているとはいえ、加藤のような近代的自意識をもった人間には、鼻もちならぬのであろう。






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