河瀬直美「東京2020オリンピック SIDE:A」

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東京2020オリンピックの公式記録映画は、河瀬直美が監督し、SIDE:A及びSIDE:Bとして別々に公開された。SIDE:Aは2021年6月3日から公開、Bの方はその三週間後に公開されたが、どちらも営業成績は惨憺たるものだった。映画の内容が面白くなく、そのうえ、オリンピック自体が高い関心を集めたとはいえなかったので、国民の反応が鈍くなるのは覚悟されていたものの、その覚悟以上にひどい受け止め方をされた。色々な要因があると思う。オリンピックについての国民世論が盛り上がらなかったことが最大の理由だと思うが、映画自体にも問題を指摘できるのではないか。アスリートの活躍を描くはずだったSIDE:Aは、国民の人気が最低だった森大会組織会長を前面に出して、あたかも森会長を賛美することを目的に、この映画を作ったというふうに受け取られたこともあり、世間の反応はいきおい、冷笑的になったのではないか。どんな映画でも、公開後に観衆の共感を呼べば、おのずから評判になるものだ。ところがこの映画は、ほとんど評判になることがなかった。

そういう意味で、オリンピックの公式記録映画としては、商業的には失敗したわけでが、では、純粋な記録映画としてはどうか。小生の受けた印象の範囲では、記録映画としても中途半端といわざるをえない。だからこそ、国民から徹底的にそっぽをむかれることになったのではないか。記録的な価値とか、歴史的な意義とかを多少でも感じることができれば、国民はこれほどまでこの映画を無視することにはならなかったはずだ。

森会長の件を別にしても、この映画が、アスリートたちの努力を公平に扱っているとは思えない。アスリートはさまざまな人間からなるものだが、その中には理屈を抜きにしてスポーツに向き合う選手がいたり、あるいはスポーツを通じ自分の政治的・社会的な意思表示をしようとする選手もいる。この映画が取り上げた選手には、そうしたスポーツ以外の動機を表に出すタイプの選手が多い。性差別とか人種差別、あるいは国際政治に翻弄される選手といったものを前面に押し出しすぎている感がある。そのため、肝心のアスリートのアスリート精神というべきものが、後景に退いているきらいがある。とくに、アメリカ選手などは、大部分が黒人選手で、その彼ら彼女らが、アメリカ社会の黒人にとっての生きづらさを訴えているというようなシーンが目立つ。それはそれで意義があるとは思うが、そんな場面ばかり見せられると、いったいこれは、何を目的に作った映画なのかと、首をかしげたくなる。

日本人選手では、柔道の選手団とサーフィンの選手に焦点が当てられていた。柔道については、長い間の低迷を乗り越え、やっと日本らしい柔道で世界に存在感を示すことができたと訴えている。とはいえ男女混合戦では、フランスに敗れ、日本はなからずしも世界をリードしているとはいえなかったわけだが。

周知のように、この大会は無観客で行われたので、大会特有の観客の盛り上がりは期待できなかった。オリンピックの感動は、アスリートと観客との一体感から醸し出されるところが大きいので、無観客では、そうした感動が生まれるべくもなかった。第一回東京オリンピックは、それこそ国民的行事として老若男女すべての国民が参加意識をもったものだったが、今回は、無観客で行われたうえ、一部にオリンピックそのものへの批判が出たりして、国民が一体となって楽しむということにはならなかった。そうした負の側面をこの映画がありもままに映し出せていれば、あるいは歴史の一齣を保存したものとして、それなりの評価を与えられるかもしれないが、それには、かなりの時間が必要のようである。






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