抗議と逃亡:ドストエフスキー「死の家の記録」

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監獄、とりわけロシアのような国の監獄は耐え難いものだと思うが、この小説に出てくる監獄は、司令官である所長(少佐と呼ばれる)がどうしようもない悪党ということもあって、耐えがたさは異常なものだった。その所長を、記録作者は憎しみを込めて描いている。たとえば、「その赤黒い、にきびだらけの、凶悪な顔が、わたしたちに何とも言えぬ重苦しい印象をあたえた。まるで残忍な蜘蛛が、巣にかかった哀れな蠅をめがけて飛び出してきたかのようであった」(工藤精一郎訳)といった具合である。

囚人たちはその所長(少佐)を日頃恐れていた。少佐が理性とは無縁な人間であり、その場の感情にまかせて、どんな残忍な行為でもいとわないということを知っているので、彼の怒りの犠牲となることを恐れていたのである。いつも囚人に向かって威張り散らし、大した理由もなく処罰する。笞で打つのである。笞で打たれてはたまらないから、囚人たちは少佐の前ではおとなしく振舞い、決して逆らったりはしない。それをいいことに少佐はますますつけあがり、まるで自分が囚人たちの神であるかのように、勝手放題に振舞うのである。

だが囚人たちの間に、少佐の理不尽に対して抗議したいという動きが出ることもある。個人としては反抗できないが、囚人全体としては反抗することがある。それは囚人全体にとっての共通の不満が、かれらを団結させるときに起る。とくに、食費を切り詰められて、まずいものを食わされ続けると、囚人たちの共通の不満は限界点を超えて燃え上がる。そこで皆で一体となって抗議しようということになる。その際、貴族とか外国人は仲間から外される。しかも露骨に仲間外れをするので、記録作者のゴリャンチコフはそれに侮辱を感じたほどである。

だがその抗議も、いざ少佐と面と向かう段になると、意気消沈してしまう。激高した少佐が「暴徒め! 列間笞刑だ! 扇動しやがって! 全員裁判だ! きさまら!」と叫ぶと、囚人たちは一様に、「わしらァ満足だよ」と答えるのである。だがこの時の抗議は、多少の効果を伴った。囚人たちのこのような抗議を許すのは、司令官としては失敗だということを少佐は十分心得ていて、事態のもみ消しにかかったほか、囚人たちの不満を多少は和らげようとして、食事の内容をすこしは充実させたのである。この少佐は、別の案件で裁判にかけられ、退官願いをださせられる羽目になったのだった。「軍服を脱いだとたんに、彼の威厳はすっかり消えてしまった。軍服を着てこそ彼は雷であり、神であった。文官服を着ると、彼はとたんに全く何者でもなくなり、下男じみてきた。こうした人々にあっては軍服がいかに多くの意味を持つか、驚くべきことである」。

囚人による抗議は滅多におこることはなかったが、逃亡はけっこう多発した。だが成功することはまずなかった。色々な理由で、逃亡するには不都合すぎたのだ。それでも、作者がこの監獄にいた時期に、一度大きな逃亡事件が発生した。逃亡したのは二人の囚人と、かれらに誘われた一人の警護兵だった。首謀者は特別官房の囚人であり、もう一人は政治犯である。その二人が警護兵を抱き込んで逃亡したのでは、監獄のメンツはまるつぶれだった。だから監獄の上層部は慌てふためいた。その慌てぶりを、他の囚人たちは楽しんで見ていた。かれらは、この逃亡が成功するのを望んだほどだった。じっさい逃亡騒ぎは数日間にわたり、成功したかにも思えた。

だが、逃亡後八日ほどで、かれらはつかまってしまったのだ。するとそれまで逃亡者たちをほめそやしていた囚人たちは、一転してこきおろしはじめた。そして逃亡者らが監獄へ引き立てられてくると、「どんな目にあわされるか見てやろうと、柵のほうへ駆け出していった」。「千はくらわされるだろうな」とある囚人が言うと、「何の千くらいで済むもんか!・・・なぐり殺されるよ。だっておめえ、特別官房の囚人だぜ」と他の囚人が言うのだった。

これは成功というものの持つ意義を端的に物語っていると作者は言う。ロシアでは、成功してこそ英雄扱いされるが、成功しなければ鼻にもかけられないのである。 






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