古仏心:正法眼蔵を読む

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正法眼蔵第九は「古仏心」の巻。古仏心とは古仏の心という意味。道元がここでいう古仏とは釈迦牟尼以前の七仏から、釈迦牟尼以後曹谿(慧能のこと)にいたるまでの全四十仏のこと。道元が慧能を特別扱いするのは、慧能が南宋禅の始祖だからだ。禅は弘忍の弟子の代に、慧能の南宋禅と神秀の北宋禅に別れた。その後北宋禅は事実上亡びたが、南宋禅は大いに栄えた。その南宋禅は、石頭希遷の流れと馬祖道一の流れに再分化し、石頭の流れから曹洞宗が、馬祖の流れから臨済宗が生まれた。曹洞宗の流れをくむ道元は、慧能を南宋禅共通の法祖として重視しながら、主に石頭の流れに属する禅者に敬意を払っている。

ここ(この巻)で道元が言っていることは、禅の法統は、古仏から古仏へと直接伝えられるということである。そのことを道元は次のように表現する。「古仏にあらざる自己は古仏の出処をしるべからず。古仏の在処をしるは古仏なるべし」。また、「古仏祖の家風および古仏の威儀は、古仏にあらざるには相似ならず、一等ならざるなり」とも言っている。古仏の心は古仏でなければわからないということであり、古仏から古仏へと直接伝わるものだと言っているわけである。

以上のように言うことで道元は、自分も古仏如浄から直接古仏心を伝授されたものであり、したがって古仏の一人として、禅の偉大な法統を継ぐものであると主張しているわけである。

それでは、古仏から古仏へと伝授される「古仏心」とは、どんなものなのか。それについて道元は、南陽慧忠の言葉を引用しながら、きわめて抽象的な説明をしている。慧忠は慧能の弟子の一人で、次のような逸話が伝わっている。ある僧が「如何是古仏心(古仏心とはなんぞや)」と問うたところ、「牆壁瓦礫」と答えたというのである。牆壁瓦礫というのは、文字通りには、かきね、かべ、かわら、小石のことであるが、それが一体古仏心とどのような関係にあるのか、よくわからない。だから何かの隠喩だろうと思われるのだが、何の隠喩かについては詳しい説明はない。次のような説明らしい言葉があるだけである。その言葉とは、「いはゆる宗旨は、牆壁瓦礫にむかひて道取する一進あり、牆壁瓦礫なり。道出する一途あり、牆壁瓦礫の牆壁瓦礫の許裏に道著する一退あり。これらの道取の現成するところの円成十成に、千仭万仭の壁立せり、迊地迊天の牆立あり、一片半片の瓦蓋あり、乃大乃小の礫尖あり。かくのごとくあるは、ただ心のみにあらず、すなはちこれ身なり、乃至依正なるべし」というものである。

この言葉を素直に受け取れば、牆壁瓦礫という言葉の十全な意味は、千仭万仭の壁が立っているようなイメージであり、迊地迊天の牆が立ってるようなイメージであり、一片半片の瓦蓋のようなイメージであり、乃大乃小のとがった礫のようなイメージである、ということであろう。そう言われてもなお、よくわからないところがあるが、要するにこの言葉でイメージされるものは、心ばかりではなく身のことでもある。心身が一体となって、牆壁瓦礫と化しているといったことか。

道元は、古仏心に関して、もう一つの逸話をあげている。漸源仲興大師がある僧から、「如何是古仏心」と問われた。南陽慧忠の場合と全く同じ問いである。それに対して漸源は「世界崩壊」と答えた。さらにその意味は、「寧無我身(寧ろ我身無からん)」だと言った。わが身に全くこだわらないこと、それが古仏心なのだということだろう。牆壁瓦礫に比べれば、この言葉のほうがずっとわかりやすい。

なんともはぐらかされたような気になるところだが、この巻の最後を道元は、次のように結んでいる。「まことに七仏以前に古仏心壁豎す、七仏以後に古仏心才生す、諸仏以前に古仏心花開す、諸仏以後に古仏心結果す、古仏心以前に古仏心脱落なり」。

なおこの巻の内容は、寛元元年(1243)、道元満四十三歳の年に、京都六波羅蜜寺において示衆したものである。





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