言語表現における構造と記号とゲーム:デリダのレヴィ=ストロース論

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「エクリチュールと差異」の第十論文「人文科学の言語表現における構造と記号とゲーム」は、主として構造の問題について論じている。デリダがいうところの構造とは、それ自身の内部にその成立の根拠を有するようなシステムのことをいう。しかもシステム全体を統べるような中心がない。ましてや、外部からそれを統制するような超越的な原理もない。構造とはだから、かなり偶然に作用される。そこには必然性の契機はほとんどなく、したがって歴史的な概念である発展という意味合いもない。すべての構造は、相互に独立を主張し、しかも優劣の関係にはない。こうした非歴史的で相対的な見方を押し出して、西洋哲学の形而上学的伝統に挑戦したのがレヴィ=ストロースだったとデリダは考えているようである。だから、構造を論じたこの論文は、デリダのレヴィ=ストロース批判という体裁をとっている。

ふつう、レヴィ=ストロースが西洋近代哲学にもたらした新しい意義は、形而上学的な思考への挑戦だといわれている。一介の人類学者に過ぎなかったかれが、一躍西洋哲学の舞台における主要プレーヤーと認められるようになったきっかけは、サルトルの歴史主義を否定したことだった。1961年に刊行した「野生の思考」のなかで、レヴィ=ストロースはサルトルの歴史主義が、歴史の外部にあってそれを駆動している超越的な理念に寄りかかっていると指摘したうえで、そういう立場が、西洋中心主義的な偏見に根差したものだと批判し、西洋のシステムといわゆる「未開社会」のシステムとの間に価値上の優劣はないと主張したのだった。

こうした西洋中心主義的な考えそのものは、ニーチェらによってすで批判されていたのだったが、その批判はまだ洗練されたものとはなっていなかった。その理由は、ニーチェら西洋中心主義つまり形而上学的思考への批判者が、その批判を、ほかならぬ形而上学の言葉で語ったからだとデリダはいう。では、レヴィ=ストロースは、形而上学以外の言葉で形而上学を批判することができたのか。その疑問に対してデリダは、肯定的な、つまりレヴィ=ストロースに好意的な立場をとっている。レヴィ=ストロースはもともと科学者(民族学者)だったから、西洋の形而上学の伝統から自由でありえたと考えるのである。

ここで、レヴィ=ストロースの西洋哲学上の意義を理解するための予備的作業として、ニーチェ以下の形而上学批判の大筋を振り返っておこう。その批判の流れを担ったものとしてデリダは、ニーチェ、フロイト、ハイデガーをあげている。この三人に共通するのは「脱中心化」だとデリダはいう。「脱中心化」とは、既存のシステムを動かしている原理を相対化し、それを乗り越えるための手がかりを与えてくれる概念だ。その概念についてのニーチェ以下の批判と、そのもたらす破壊的な力について、デリダは次のように言っている。「おそらく引用しなければならないのは、ニーチェの行った形而上学に対する批判、そしてまた、ゲームや解釈や記号(現前する真理なしの記号)などの諸概念にとってかえられるところの、存在と真理の概念に対しての彼の行った批判であり、さらに、自己現前すなわち意識や、主体や、自己同一性や、自己の親近性や固有性などに対してフロイトが行った批判であり、さらに根本的には、形而上学や、存在・神学や、現前としての存在の決定に対してハイデガーの行った破壊などであろう」。

この三人は、いずれも形而上学の言葉を用いて形而上学を批判せねばならなかったわけで、その点では徹底を欠くところもあったが、しかし形而上学を解体しようとする熱意を共有していたというふうにデリダは考えていたわけである。形而上学の破壊者にハイデガーを含めることについては、異論もあるところだと思うが、ここではデリダの言い分を紹介するにとどめておく。

レヴィ=ストロースが画期的なのは、科学的な、したがって形而上学とは異なった言葉を以て、形而上学を批判したことだった、とデリダは考えている。形而上学は、超越的な概念を用いて世界を解釈するところに本質的な特徴がある。そうした超越的な概念が、ある特定の意図にその基礎を持っていると指摘することで、その概念を相対化し、したがって絶対性を否定することで、あらゆる形而上学的思考の現実的な根拠を明らかにすることを、レヴィ=ストロースは民俗学的な研究をベースにして追求した。そこに科学的な思考によって、形而上学の欺瞞的な性質をあぶりだそうとする営みがあるわけで、その営みが、形而上学の根本的な批判と、形而上学が体現していた西洋中心主義的思考の相対性を証明したというのが、デリダがレヴィ=ストロースの功績として認めるところである。

レヴィ=ストロースが依拠したのは民俗学的な方法である。その方法をかれは、自民族中心主義から脱却することで獲得した。ここで自民族中心主義というのは、ヨーロッパ人中心主義という意味である。従来の人類学には、このヨーロッパ中心主義の偏見がまとわりついており、いきおい民族の間の差異を優劣の関係として見ることにつながった。レヴィ=ストロースは、民族の間の差異を、優劣の関係とは見ずに、構造の相違として見る。構造としてはみな同格であり、そこに価値の相違があるはずもない、というのがレヴィ=ストロースの立場だった。それをデリダは「脱中心化」というわけである。

そのうえでデリダは次のように言う。「民俗学は、脱中心化現象の行われたときになってはじめて、というのはヨーロッパ文化~したがって形而上学とその諸概念の歴史~が解体され、その場から追放されてしまい、参照の文化と目されるのを止めねばならなくなったときにはじめて、科学として誕生したと考えられるからである・・・民族学成立の条件である民族中心主義の批判が、組織的にも歴史的にも、形而上学の歴史の破壊と同時代に行われたのは何ら偶然ではない」(野村英夫訳)。

かく言うことでデリダは、レヴィ=ストロースを「脱構築」の先輩として見ることになろう。






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