石井裕也「アジアの天使」:韓国を舞台とした日韓共同のロードムーヴィー

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石井裕也の2021年の映画「アジアの天使」は、韓国を舞台とした日韓共同のロードムーヴィー。韓国在住の日本人三人と両親の墓参りに出かけた韓国人兄妹三人が、たまたま旅の列車の中で出会い、そのまま一緒に旅を続けるという内容。ロードムーヴィーの利点は、旅そのものがストーリーになることで、余計な細工をせずとも結構見せるものになる。この映画の場合には、二組の家族がそれぞれ格差社会の負け組である上に、複雑な過去を背負っており、生きるだけで精一杯ななかでも、一緒に旅をすることで、互いの感情が融和していき、新たな可能性を見つけるというような内容が付加されることで、映画としての厚みを感じさせる。

妻を失った男剛(池松壮亮)が、学齢期の息子を伴って韓国にいる兄(オダギリ・ジョー)を頼る。兄は、調子のいいことを言っているが、事業には失敗して、うだつがあがらない。しかも仲間に裏切られて寝場所から追い出され、行き場を失う。そこで弟をだまし、とりあえず東海岸江原道(カンウォンド)の都市江陵(カンヌン)に行こうと持ち掛ける。そこで和布の事業を立ち上げようというのだ。

一方、売れない歌手のソル(チェ・ヒソ)は、兄と妹を養っているが、事務所から契約を解除され、仕事を失う。折から、兄妹の間で、死んだ両親の墓参りをしようという話が持ち上がり、ソルは気分転換のためにその話に乗る。

かくして三人の日本人と、三人の韓国人が同じ列車に乗って江原道をめざす。その列車の中で、かれらは合流し、なぜか意気投合して、その後の行動を共にするのだ。

結果何がおこるかというと、剛とソルとの間に愛が芽生えるということだ。よくある話で、それ自体意外性はない。ただ、言葉もほとんど通じない間柄で、そんなに簡単に愛が芽生えるというのも、ちょっと安直すぎるかもしれない。しかし、かれらは日韓それぞれの格差社会の負け組であって、贅沢を言ってられる身分ではないのである。配偶者を見つけられただけでもラッキーなのだ。

オダギリと池松演じる日本の負け組は、喧嘩も無論弱い。栄養状態がよくないので、力が出ないのだ。それで、女たらしの男がソルに絡んでも、助ける気力・体力がない。簡単にやられてしまうのだ。女を苦境から助け出す能力もないのでは、女から愛想をつかされるばかりだろう。ところがソルは変わった女で、女たらしの男に蹴りをいれて、のばしてしまうのである。韓国の女には、護身用にテコンドーを習うものがいるというが、ソルにもテコンドーのたしなみがあったのであろう。

アジアの天使とは、ソルを守ってくれる天使のことだ。顔つきはアジア人で、体つきはずんぐりしている。キリスト教の天使のイメージとは全く異なるが、もしアジアに天使がいるとしたら、この映画に出てくる天使のような姿をしているに違いないのだ。






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