最高裁はホワイトハウスの出先機関か

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辺野古埋め立てをめぐる裁判で、最高裁が沖縄県の上告を退け、国側の言い分を一方的に飲み込む判決を出したことで、この問題はほぼ国側の意向にそって決着する見込みとなった。政府としては言い分が通って万々歳というところだろうが、日本のためには決してそうは言えない。なぜなら最高裁は、地方自治法の規定を恣意的に解釈して、実に政治的な判断をしたからであり、その政治的な判断は、一見日本政府に忖度しているように見えて、実はアメリカ政府の意向を踏まえたものだからだ。これでは、最高裁は日本国と日本国民のために存在するのではなく、ホワイトハウス(アメリカ政府)のために存在するということになる。最高裁は日本の国権を担う機関ではなく、ホワイトハウスの出先機関として、アメリカの利益を支えるための機関だというべきである。

最高裁は、この問題について、実質的な判断をはぶいて、きわめて法技術的な形式論でお茶を濁した。この問題にかかわる地方自治法の規定は、政府による一般国民への権利侵害に対して救済の道を開くための規定である。だから、弱い者を強い者の暴虐から守るための制度といってよい。ところが裁判所は、国を一般国民の立場に擬制したうえで、その国を沖縄県から守るという、じつにわけのわからぬ解釈を採用した。つまり国を弱者としたうえで、その弱者を沖縄県という横暴な強者から守るというのである。これは地方自治の趣旨を著しく逸脱したむちゃくちゃなやり方だが、そうでもしなければ国の立場を守れないほど、国側の主張は脆弱なのである。

最高裁は戦後一貫して政府に忖度し続けてきた。日本政府は、日本は対アメリカで従属関係にあるから、そのアメリカの意向は、日本の法体系を超越するような権威をもっている、というような振舞に徹してきた。その政府の振舞に、国権の一翼を担うとされる裁判所が同調するのは、ある程度までは認められようが、しかし日本の主権を害してまで、アメリカの都合を優先するというのでは、主権国家とは言えない。その主権の放棄とも受け取れるようなことを、最高裁も率先して行ってきたのである。

今回の最高裁の判断は、日本の法システムに大きな汚点を残すことになると言わねばならない。





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