ロイ・アンダーソン「散歩する惑星」:キリストを侮辱する

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ロイ・アンダーソンの2000年の映画「散歩する惑星」は、かれとしては四半世紀ぶりに作った作品だ。前作が興行的に失敗し、長い間再制作に慎重だったのだが、やっとふんぎりがついて作る気になったということらしい。

かなり異様さを感じさせる映画である。描かれている個々の事態はかならずしも異様ではないのだが、それらが繋がると異様さを醸し出すのだ。というのも、場面場面の間に脈絡がなく、それぞれ前後の事情を無視して現れるので、見ている方としては、何が何だか分からなくなる。

何人かの人物が出てきて、それぞれ個人的な事情を抱えている様子が、相互にかかわりなく、描き出されていく。冒頭では社員の大量首切りを病院の検査台の上から指示する社長とそれを聞く重役、ついで会社から突然首を切られて意気消沈する社員、手品師から誤って腹を切られた男、看護婦から結婚をせまられる医師など。一番多く出てくるのは、自分の店に放火した男で、これがなんだかんだ言って、全体の半分近くを占めている。この男が自分の店に放火したのは、どうやら保険金目当てという動機があったらしいのだが、他の人物には動機とか合理的ないきさつとか言ったものはほとんどない。ただただ訳もない騒ぎをひき起こしているといった感じなのである。

自分の店に放火した男には家族がいて、特に長男は心を病んでいる。そのことを男は異様なほど嘆いている。嘆くばかりで事態に向き合おうという姿勢に欠けているのだ。その男は保険金詐欺のほか、色々わけの分からぬことをする。とりわけひどいのは、イエスの十字架像を金もうけの手段に使おうとすることだ。今年はキリスト生誕一千年紀だから(実際に2000年はミレニアム・イアーだった)、キリスト十字架像の需要がたかまり、高値で売れるだろうと踏んだのだ。ところが十字架像は売れず、金もうけの野望は潰え去った。

こんな具合に訳の分からぬことが連続するので、見ている方としては、バカ騒ぎに巻き込まれているような気になる。とにかく、人を馬鹿にした映画である。





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