行持:正法眼蔵を読む

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正法眼蔵第十六は「行持」の巻。この巻は、正法眼蔵の中で他を絶して長く、岩波文庫版で百ページを超える。そんなこともあって、古来二冊に分けて編せられてきた。長くなった理由は、道元が古仏と呼ぶ人々の業績というか、修行の様子を、いち細かく紹介しているためである。この巻で道元が取り上げている古仏は、釈迦牟尼仏を筆頭に、道元の師如浄まで実に三十三人にのぼる(うち二人は二度とりあげている)。

行持という言葉は、行の持続あるは行を護持する、という意味である。行とは仏道の修行をいう。だから、仏道の修行あるいはその意義を代々絶やさず後世に直伝するというような意味になる。一方、それぞれの仏道者の修行のあり方そのものをさすこともある。この「行持」の巻では、後者の意味合いにおいて使われることが多い。

古仏の行持について個別に取り上げる前に、古仏についての総論的な説明がある。その説明は、巻冒頭の次のような文章に要約される。「仏祖の大道、かならず無上の行持あり、道環して断絶せず。発心修行、菩提涅槃、しばらくの間隙あらず、行持道環なり。このゆゑに、みづからの強為にあらず、他の強為にあらず、不曾染汙の行持なり。この行持の功徳、われを保任し、他を保任す。その宗旨は、わが行持すなはち十方の帀地漫天、みなその功徳をかうむる。他もしらず、われもしらずといへども、しかあるなり」。

仏祖の大道には無上の行持があり、それが次々と受け継がれて、その功徳が我をも他人をも救う、というような意味である。「無上の行持」という場合の行持は、修行の要諦というような意味合いであり、それが代々受け継がれることを「行持道環」という。道環は循環と同じような意味であるが、仏の教えが代々直伝されていくことをいう。

全体の流れとしては、まず釈迦牟尼から始め、その直弟子魔訶迦葉以下道元の師如浄にいたる三十三人の行持が語られる。うち道元が重視しているのは、禅宗の祖達磨、南宗禅共通の祖慧能、曹洞宗の流れの祖石頭、臨済宗の流れの祖馬祖である。無論自身の師如浄土に多大な敬意を払うことを忘れない。

釈迦牟尼は仏教全体の創始者であるからともかく、道元が達磨以前でもっとも重視しているのは迦葉である。その迦葉の教えを道元は「十二頭陀」という言葉で要約している。頭陀というのは、煩悩の塵を掃い落とすという意味である。それが、他人をあてにしないこと以下十二種類ある。だから十二頭陀という。その頭陀は基本的には戒律のようなもので、仏教の真理のようなものを語っているわけではないが、行持が修行であるということを踏まえれば、適切な言及といえるであろう。

面白いことに、道元は達磨を飛ばしていきなり慧能を取り上げ、その慧能の法統の中でまず馬祖の法統について説明している。なぜそうしたのか、わからない。道元は、石頭以下如浄にいたる流れを禅の主流としているわけだから、まず、その流れについて説明するのが順序だと思うのだが、この巻では、慧能についでいきなり馬祖、つまり臨済系統の流れについて説明するのである。そのうえで、達磨にさかのぼり、そこから、曹洞系統の流れについて取り上げるのである。

慧能については、樵の出身で有識と称しがたいにかかわらず、「黄梅の会に投じて、八箇月ねぶらずやすまず、昼夜に米をつく。夜半に衣鉢を正伝す。得法已後、なほ石臼をおひありきて、米をつくこと八年なり。出世度人説法するにも、この石臼をさしおかず、希世の行持なり」とごく簡単に触れるにとどめる。

馬祖についても、坐禅すること二十年、老にいたりて懈怠せず、という具合にごくあっさりと言及するだけである。もっとも、馬祖の弟子法常を取り上げたところで、彼の有名な言葉「即心是仏」という言葉に言及してはいるが。

馬祖の流れのうち、道元が最も多く語っているのは趙州従諗である。趙州従諗は、臨済禅では公案の作者として有名だから、あえて多言を費やしたのだと思われる。その趙州従諗の言葉のうち、道元がここで取り上げているのは、次のようなものである。「你若し一生 叢林を離れず、不語なること十年五載すとも、人の你を喚んで唖漢と作すことなからん。已後には諸仏もまた你を奈何ともせじ」。

「唖漢」は「聾啞者」のこと。一生叢林の中で坐禅し、一言も口をきかずとも、だれも「聾啞者」とは言わぬであろうという意味である。これもまた、言葉より実践を重んじる禅の気風を強調したものである。





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