中村健之介「永遠のドストエフスキー」を読む

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中村健之介のドストエフスキー論「永遠のドストエフスキー」(中公新書)は、副題に「病という才能」とあるとおり、ドストエフスキーについて、その「パーソナリティの特徴は病である」と言っている。「病い」とは心の病いのことである。ドストエフスキーが癲癇を患っていたことはよく知られており、その病的な体験が「白痴」などの作品に表現されていることは、かねがね指摘されている。中村は、ドストエフスキーが癲癇を患うことになったのは、シベリア流刑中のことだと言ったうえで、彼の作品には、「貧しき人びと」のような初期のものからすでに、心の病を感じさせるものがあると指摘し、ドストエフスキーは若いころから統合失調症を患っていた、その異様な体験が、かれのすべての作品を彩っているとした。つまり、ドストエフスキーは作家としての生涯を通じて精神病患者だったのであり、その患者としての異様な体験がそのまま作品に反映されている。かれの作品のなかの、登場人物たちの異常な振る舞いは、かれ自身の体験をそのまま語っているというのである。

このような見方は、小生の知る限り他には見られず、画期的なものだ。上述したように、ドストエフスキーが癲癇を患っており、その症状が作品に反映されていることは、いまでは周知のことだが、ドストエフスキーが統合失調症を患っていたと主張したものはなかったのではないか。ドストエフスキーの作品に、精神病を感じさせるようなものがあることは広く気づかれてはいた。だが、それがドストエフスキー自身の統合失調症に基づくとする見解はなかったといえる。ドストエフスキーには、実生活においても、作品の中においても、精神的な異常さを感じさせるものがあるのは、誰もが気づくことだったが、それが彼自身の統合失調症にかかわると見る見方はほとんどないといってよかった。中村はだから、画期的なドストエフスキー像を提示したといえる。

中村は何を以てドストエフスキーを、統合失調症患者と決めつけるのか。かれはそれについての論拠を、ドストエフスキーの小説と書簡を読み解くことで明らかにしようとする。小説については、初期の「貧しい人びと」から最晩年の「カラマーゾフの兄弟」に到るまで、ドストエフスキー自身の統合失調症体験がそのまま作品に反映されていると指摘する。とりわけ、「貧しい人びと」と「二重人格者」は、癲癇を発症する以前の作品であることから、その作品の中の異常な精神状態の描写は、癲癇体験以外の理由によって説明されねばならぬ。そこで中村は、この二つの小説の中から、異常な精神的状態の描写をとりあげ、それらが、じっさいに統合失調者でなければ書けないような類の体験だといい、そこからドストエフスキーが統合失調症患者だったと説明するのである。同じようにして、二人目の妻アンナとの往復書簡を読み込むことで、ドストエフスキーが実際生活の上で統合失調症の症状を頻繁に示していたことを指摘し、それをもとにドストエフスキー統合失調症説を補強しようとしている。もっともドストエフスキーがアンナと結婚したのは四十歳を過ぎてからのことで、すでに癲癇を患ったあとのことではあるが。

そこで我々読者としては、中村の推論がどこまで信用できるものなのかが問題となろう。たしかに中村が、ドストエフスキーの小説のなかに現れる精神病理的現象は、それを実際に体験したものでなければ書けない類のものだということには一定の根拠を認めることができる。しかし、精神病の中でも統合失調症は、重度な人格障害を伴うもので、知的能力を著しく低下させる。そういう状態で、ドストエフスキーの小説のように、高度に知的な文学作品を構築することが、果たしてできるのかどうか疑問である。中村は、精神科の医師の言葉を引用しながら、統合失調症患者は、正常と異常との両方を行ったり来たりしているのであり、正常の状況の中では、高度に知的な作業もできると考えているようだ。しかしごく軽度のケースならばともかく、統合失調者症の本物の患者が、このような高度な知的営為に耐えられるとは考えにくい。だから、中村の言い分をそのまま受け入れることには抵抗があるとえよう。

ともあれ、とりあえず、ドストエフスキーの初期の小説「貧しい人びと」と「二重人格」についての、中村の分析ぶりを見てみよう。「貧しい人びと」の主人公ヂェーヴシキンには明らかに統合失調症の兆候がみとめられる。かれは、著しい迫害妄想に陥っており、また、かなり深刻な離人症状を示している。どちらも統合失調症に典型的な症状である。特に迫害妄想は、誇大妄想のかたちをとり、深刻な被害意識をもたらす。じっさいヂェーヴシキンは誇大妄想の塊のような人間なのである。一方「二重人格」のテーマは文字通り自己の分裂であり、自己の分裂とは統合失調症の核心的な症状である。

こんなわけで、ドストエフスキーの初期の二つの作品において、すでに統合失調症の問題がドストエフスキーの小説世界の核心的なテーマとなっていたというのが中村の指摘であり、それを踏まえながら中村は、ドストエフスキー自身がその統合失調症を患っており、患者としての自分の異常な体験をそのまま書いているのだと主張するのである。その上で、いわゆる五大長編小説と呼ばれる後期の作品群も、一貫して自分自身の統合失調症体験を踏まえたものだという主張を重ねているのである。

妻アンナとの往復書簡については、ドストエフスキーはとりわけ被害妄想について繰り返しアンナに訴えている。その被害妄想は深刻なもので、明らかに精神的な異常を感じさせるので、ドストエフスキーが精神病を患っていたことの傍証とはなるだろう。じっさい中村は、それらの手紙のなかでのドストエフスキーの異様な言い分をもとに、かれが統合失調症を患っていたと主張するのである。一方妻のアンナの反応は、夫を奇妙な人だと思い、そのことで悩みもしたようだが、夫を見放すことはなく、冷静に対応していたという。彼女が冷静になれたわけは、彼女の性格がおっとりしていたせいかもしれず、また、夫のドストエフスキーが、一緒にいるのが耐えられないほど壊れてしまっていたわけでもないということかもしれない。

そんなドストエフスキーだが、不思議なことに、四年間の監獄生活の時期が、精神的にもっとも安定したいたと中村は言う。じっさいドストエフスキー自身も、「懲役のほうが気持ちが穏やかだった」と口癖のように言っていたそうである。なぜ彼がそんなふうに思ったのか、それについては詳しく立ち入って考えていない。監獄のなかでは、他人との関係が単純化されるので、精神的なストレスも緩和され、異常な精神状態に陥ることが少なくなった、あるいはなくなってしまった、ということだろうか。もっとも、この懲役中に癲癇の発作が始まったわけで、それをどう考えるかは、また別の問題である。

いずれにしても、ドストエフスキーが統合失調をほぼ生涯にわたって患っており、その症状を直接描写することで、かれの作品世界が形成されたとする中村の推論は、その有効性はともかく、面白い試みである。






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