歴史と人間の終わり:落日贅言

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前稿「哲学の歴史は終わったか」のなかで、世界の哲学界のうちでも特に西洋哲学の世界においては、デリダとドゥルーズを最後にまともな哲学者が現れなくなった事実を指摘し、それを踏まえて、西洋哲学の歴史が終わった可能性について言及した。本稿では、西洋哲学の歴史が実際に終わってしまったのか、そのことについて改めて確認作業を行い、そのうえで、なぜそんなことになってしまったのか、について考えてみたいと思う。

まず、歴史の終わりを云々するということは、歴史に目的を設定する考えがあるからだと言いたい。歴史の流れを目的論的に説明するというやり方は、西洋思想の中に根強いので、哲学においても、そうした風潮が支配的な影響力を発揮したということは不思議ではない。目的論的な見方というのは、ある一定の目的に向かって人類が進歩していくということをイメージしているので、進歩主義的な歴史観と言い換えられる。この進歩主義的歴史観は、哲学に限らず、あらゆる科学思想に貫徹しているようである。哲学の分野で進歩主義的思想を典型的に体現しているのはヘーゲルであり、その弟子マルクスもそうした歴史観を共有していた。その歴史観を前提とすれば、人類の発展はある時点で完成の域に達し、およそ人類が求めるべきすべてが実現されると考えることとなる。その完成の時点は、そこで歴史が終末を迎える限界点である。マルクスがそれを共産主義という形でイメージしたことは、前稿で指摘したとおりである。

もっとも、こうした進歩主義的で目的論的な歴史観は、西洋に特に強く見られるもので、東洋ではかならずしも有力な考えではない。小生には、東西の思想について万遍なく比較対照するするだけの能力はないが、その狭い知見の範囲内でも、たとえば仏教が進歩主義的歴史観とは無縁なことはわかっているつもりだ。だから、西洋哲学の歴史がある限界点に達したと言えるとしても、それは西洋哲学というものの範囲内での出来事であり、仏教はじめ東洋の思想とは無縁なことだと、突き放して見ることは可能である。小生を含めた東洋人は、西洋思想を相対的に見る視点を持っている。なにも西洋思想だけが、人類のいだくべき思想というわけではない。だからといって、西洋哲学に替えて、仏教的なものの見方をするべきだなどと言っているわけではない。あくまでも、西洋哲学の相対的な位置づけを確認しているにすぎない。

以上を踏まえたうえで、西洋哲学の歴史は本当に終わってしまったのか、ということについて考えて見たい。それについて肝心なことは、その歴史の終わりが歴史のもつ内在的な傾向にしたがって必然的に生じたのか、あるいは西洋思想の終わりを展望しながら、西洋思想を意図的に解体しようとする動きがもたらしたのか、その二者択一的な選択肢について自覚的になることである。これは歴史解釈における必然性の契機と偶然性の契機という形で議論されてきたことだ。哲学は、基本的には人間の精神活動についての学であり、したがって個人の精神の働きが決定的な役割を果たす。だからといって、その個人の精神的な働きが、いわば真空状態の中で醸成されるような、社会の動きから超越したものだ、ということにはならないだろう。人間は具体的な社会の中で生きているのだから、かれが生きる社会の動きに大きく規定される面があるとともに、無論個人が社会の変革に強い影響を及ぼす場合もありうる。

西洋哲学は、古代ギリシャから現代にいたるまで、連綿とした流れを形成してきた。その流れは、大きな川の流れのように、ある一定の方向性を持ちながら、おびただしい数の支流を集めて、大河が海にそそぐように、思想の闇に注ぎ込んできた。思想の闇というのは、すべての思想がそこで区別なく溶け合って、個々の思想の個別性が弁別できなくなる状態を意味する。というのも、西洋哲学に明確な終末のイメージがあるわけではなく、ただなんとなく進歩しているという漠然とした思いがあるばかりなので、哲学が進歩した結果どんな状態にたどりつくのか、誰にも断言的に言うことができず、ただどこかに向かって流れつくだろうというくらいのイメージしかもてないのである。あのマルクスでさえ、人類発展の終局段階たる共産主義のイメージを明確に示せなかったのだから(せいぜい女の共有くらいのイメージしか提示できなかった)、ましてや人類の進歩発展を疑えないものと前提しているほかの思想家には、その発展の終末がどんな具体的なイメージに結びつくか、にわかには提示できないのである。

西洋哲学は、プラトンによって基礎づけられたというのが、大方の西洋哲学者たちの了解事項である。だから、かれらによれば、プラトンを理解すれば、西洋哲学のエッセンスを理解したことになり、また、西洋哲学を徹底的に批判しようとすれば、まずプラトンを反駁することから始めねばならないということになる。もっともこういう了解が西洋哲学の共通認識となったのは、20世紀に入ってからのことで、19世紀以前は、もっと大雑把な歴史認識がまかりとおってきた。あのヘーゲルでさえ、プラトンに言及するときは、思想上の一つの偶然現象としての位置づけであり、プラトンを西洋哲学全体の共通の祖先とまでは見ていなかった。

プラトンの思想は、ごく単純化して言うと、イデアの哲学である。イデアというのは、人間の精神の働きを重視する考えで、そのイデアが世界の根拠になるという考えは、人間の精神こそが世界の根拠であるという考えとつながる。そしてその人間とは、プラトンが生きていた同時代のギリシャ人をイメージしていたから、当然キリスト教的な人間観とは無縁である。ではあるが、精神的な原理によって世界の存在を根拠づけようとするところは、両者共通しているので、後にギリシャ=キリスト教的と言われるようになる西洋哲学の思想を形成するには都合がよかった。キリスト教が西洋人を捉えるようになって以降、西洋哲学は、そのギリシャ=キリスト教的な考えに依拠しながら展開してきたのである。

このギリシャ=キリスト教的な考えに正面から反発したのがニーチェであった。ニーチェの思想は、20世紀の哲学界においては、決定的な影響力を発揮した。英米系の功利主義的な経験論者たちは例外として、西洋哲学をリードしたほとんどすべてといってよい哲学者たちが、ニーチェの直接・間接の影響のもとに自己の思想を展開した。だから、ニーチェの思想のエッセンスを理解することは、もし西洋哲学に終りがあるとして、その終りの必然性と、それの持つ意味について理解するよすがになると思う。

ニーチェの思想は、色々な要素を含んでいて、そう簡単には特徴づけられないのであるが、あえて特徴づけるとすれば、ドゥルーズの言うように、「永遠回帰」と「超人」の思想であろう。永遠回帰とは時間に関する概念で、時間には一定の法則性はなく、すべては偶然の戯れに過ぎないとする。つまり伝統的な進歩主義的歴史観を正面から否定する考えである。一方、超人とは、歴史に従属するのではなく、自ら歴史を創造する主体である。かれは歴史の創造者として、人間社会においては、従来神が果たしてきた役割を引き受ける。要するに生きた神である。生きた神などというと、どこかの国の現人神を想起させるが、ニーチェの生きた神は現人神のような中途半端な神ではない。自ら神を演じながらしかも人間としてふるまう。そこが超人といわれる所以だ。超人は生きた神であるから、どんなことでも自分の趣味に従って解釈し、また自分が好きなように行動する。だが、一定の傾向はある。それは自分にとって心地よいものが真理であるという確信である。超人にとって心地よいものが真理と言われる理由は、超人の行動が人類全体の模範となり、しかも人類全体をより一層高い段階に引き上げてくれるからである。

つまり、超人にとっての功利的な打算が、人類全体にとってのより高い段階への上昇を導くというわけである。これは功利主義をソフィスティケートしたもので、いまはやりの新自由主義と通じるものがある。新自由主義は、一部の人間の功利的な行動が社会全体の底上げにつながるとみなすもので、あからさまな功利主義擁護論である。ニーチェはそんなに厚かましいやり方はとらないが、しかし超人が人類全体の底上げをもたらすと考えることでは、なんら新自由主義と異なるところはない。

ニーチェが、かれなりの功利主義を叫んだのは、19世紀の末近いころのことで、その頃には、資本主義はまだ地球全体に共通する普遍的なシステムにはなっていなかった。資本主義が世界全体にとっての普遍的なシステムとなり、したがって新自由主義的な考えが主流となるのは、20世紀の後半以降のことだ。そのころになれば、資本主義を脅かすような代替システムは存在しないと考えることができたので、資本主義こそが歴史の終着点だとするような言説が重みをもってうけとられるようになる。資本主義の一人勝ちといったこうした事態は、かえって資本主義を相対化する余裕を生み出す。その余裕が、歴史の終りなどという言説を生み出したのだと思う。フーコーなどは、単に哲学の終わりにとどまらず、人間の終わりに言及したほどである。





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