スウェーデン映画「幸せなひとりぼっち」:生きる気力

| コメント(0)
sweden.siawase.jpg

2015年のスウェーデン映画「幸せなひとりぼっち(En man som heter Ove ハンネス・ホルム監督)」は、妻に先立たれた孤独な老人が、死を求めてなかなか死ねないでいるところに、隣人との触れ合いを通して次第に生きることに前向きになってゆき、最後は人に看取られながら死ぬことができたというような、人生の意味を考えさせる作品である。

オヴェという名のこの老人は、まだ59歳なのだが、妻を亡くして急に老け込んだ上に、43年もの間努めてきた鉄道会社を首になって、もはや生きる気力を失い、早く妻のいる天国へ行きたいと願う。そこでオヴェは天井からロープを吊って首をしめようとしたり、ホースを使って車の排気ガスを車内に充満させ中毒死しようとしたり、列車に飛び込んだりするのだが、いずれも失敗してなかなか死ぬことができない。そんな彼の前に、イランからやってきた隣人一家が現れる。

その一家は、夫婦と二人の子どもからなり、妻の腹には三人目の子どもが控えている、といった設定だ。オヴェは当初、この家族につらく当たっていたが、それはかれらが、自分たちの集落のルールを逸脱しているからだ。だが、次第にかれらと仲良くなっていく。

一家の母親の名はパルヴァネという。そのパルヴァネがまず老人と仲良くなる。老人が何度も自殺に失敗していることを知ったパルヴァネは、「あなたは死ぬのがヘタクソね」などと冷やかすのだが、われわれ観客は、オヴェが自殺未遂するたびに、過去の記憶を思いだすことで、かれの人生を知ることができるのだ。かれは父親と二人きりで暮らしていて、その父親が事故で轢死したあとは、父親のあとを次ぐようにして列車の清掃員として働くことになる。そんな仕事の合間に、ソーニャという女性と出会い、彼女と結婚することができた。彼女との生活は、かれの人生のすべてであり、途中妊娠していた子を事故で死産させたことがあったが、夫婦仲はずっとよかった。その最愛の妻を亡くしたことで、オヴェは生きる気力を失ってしまったのだ。そこでかれは、妻の墓参りをするたびに、早くお前のもとに行くからというのだったが、なにからなにまで不器用なかれは、死ぬことにも成功しないのだ。

要するに、生きる気力を失うほどにつらい体験とはなにか、ということを考えさせるような映画なのだが、一方、スウェーデン社会の人間関係のあり方を垣間見せてくれたりする。もっとも興味深いのは、役所が個人の生活に深く関与していて、個人の自主性が非常に軽んじられていると思われるところだ。スウェーデンは福祉社会として知られてるが、その福祉社会とは、国が国民の私生活まで管理することに結びついているらしい。この映画は、そうした国のおせっかいに対して、異議を申したてているという面も指摘できる。

小生は、スウェーデン語は知らないが、原題は「オヴェと呼ばれた男」という意味だそうだ。






コメントする

アーカイブ