フレッド・ジンネマン「山河遥かなり」:ホロコーストの悲劇

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フレッド・ジンネマンの1948年の映画「山河遥かなり(The Search)」は、トーキー初期の頃にハリウッドにやってきて、長いこと下積み暮らしをしていたジンネマンにとって、始めての本格的な映画作品となった。テーマは、ナチスのホロコーストの犠牲になり、家族と別れ別れになったユダヤ人の少年が、母親を探し回った末に、見事再会を果たすというものである。ジンネマン自身ユダヤ人として、両親を殺されたりしているので、このテーマは彼にとっても痛切なものであった。とはいえ、自身のアイデアではなく、映画会社にあてがわれたものであった。

チェコで幸福に暮らしていたユダヤ人一家が、ナチスのチェコ支配に伴うホロコーストの犠牲となり、父親と長女は殺され、母親と長男は離れ離れになる。戦後、長男は占領軍によってベルリンの施設に収容され、そこから逃げ出して放浪していたところを米軍の兵士に拾われて世話を受ける。一方母親のほうは、息子が生きていることに望みをかけて、方々を探し回る。そういう設定で映画は進行する。

映画の見どころは、戦争によって廃墟と化したベルリンの町を舞台に、放浪する少年とかれを拾った米軍兵士(モンゴメリー・クリフト)との間の情愛劇と、息子を探し回る母親の執念を描くところである。戦後大勢の孤児が発生し、その保護の仕事も占領軍が担う。この映画はアメリカの占領地域を舞台にしており、米軍の占領統治政策が全面に出ている。米軍は、生きのこったユダヤ人をパレスチナに移送する方針だったらしく、とりわけ大勢のユダヤ人孤児は、集団でパレスチナに輸送される。主人公の少年は、米軍兵士とともにアメリカに渡るつもりでいたが、その兵士が帰国する直前に母親と再会することができるのである。

ベルリンの町が廃墟と化した様子が生々しい。戦後廃墟となったベルリンを写した映画といえば、ロッセリーニの「ドイツゼロ年」とか、キャロル・リードの「二つの世界の男」が有名だが、この映画もそれらに劣らず迫力あふれる映像である。

パレスチナに向かうユダヤ人孤児たちが、「ハレルヤ」を合唱するシーンがある。ハレルヤはキリスト教の讃美歌と思っていたが、ユダヤ教でも歌うらしい。






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