ムイシュキン公爵のロシア主義 ドストエフスキーの小説「白痴」から

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ドストエフスキーは小説「白痴」のなかで、自分自身の思想を表明して見せた。この小説を書いた頃には、ドストエフスキーの自由主義的な傾向は放棄され、ロシア主義ともいうべき伝統的な保守主義を抱くようになっていた。そのロシア主義思想を表明するについて、かれはムイシュキン公爵ほどそれに相応しいキャラクターはいないと思ったようだ。なぜか。ムイシュキン公爵は自他ともに認める白痴であって、精神的な能力は極度に低いとされているので、そのかれが高尚な思想を抱くというのは考え難いのであるが、しかし白痴であるからこそ、ロシアの民衆の間に根強くはびこっている因習的な考えを体現するには適していた。そう考えてドストエフスキーは、あえてムイシュキン公爵にロシアの因習的な思想であるロシア主義を語らせたのであろう。

この小説にはイポリートを代表とする自由主義者たちが出てきて、自由主義的な思想を大いに主張するので、ムイシュキン公爵によるロシア主義思想の開陳は、自由主義思想への反論という形をとる。もっとも面と向かって議論するわけではない。イポリートらが、自由主義思想を主張しているあいだ、ムイシュキン公爵は口をはさんだりしないで、かれらに言いたいことを言わせている。隣人からその評価を聞かれて、感心しませんなと感想を漏らす程度である。

ムイシュキン公爵がロシア主義的な考えを公然と述べるのは、自分のために催された社交パーティの席においてである。しかもあらかじめ意図していたわけではなく、ちょっとした弾みから、そうなってしまったのだった。パーティの出席者の一人に身分の高い人がいて、その人が子供の頃のムイシュキンをおぼていたばかりか、ムイシュキンの保護者だったパヴリーシチェフについて言及した。その言及の仕方が、パヴリーシチェフがあたかもロシアにとっての裏切り者だったというようなニュアンスなのであった。というものかれは、パヴリーシチェフがカトリックに改宗したというのだが、カトリックに改宗するということは、普通のロシア人にとっては、古き良きロシアを裏切る許しがいことだと考えられており、その考えにムイシュキンも同調していたのであった。

だから公爵の示した反応は激しいものだった。「パヴリーシチェフがカトリックに改宗したんですって? そんなことはあるはずはありません」と強く否定するのである。公爵が思うには、パヴリーシチェフはじつに聡明なキリスト教徒で、真のキリスト教徒なのである。公爵にとってキリスト教徒とは、ロシア正教のことをさすから、カトリックはそれには含まれない。カトリックは非キリスト教的な信仰も同じなのである。

カトリックは非キリスト教的であるばかりか、そもそも無神論の巣窟なのである。「無神論は彼らの自己嫌悪の情によってその基礎が固められたのです。それは彼らの虚偽と精神的無力との産物なのですよ、無神論というのは」というのである。社会主義は唾棄すべき思想だが、これもまたカトリックの産物である。社会主義は「その兄弟分である無神論と同様、絶望から生まれたものです。それはみずから失われた宗教の道徳的権力にかわって、渇に悩む人類の精神的飢渇をいやし、キリストによってではなく、暴力によって、人類を救おうとするために、道徳的な意味においてカトリックに反対して生まれたものですから!これもまた暴力による自由ですね、これもまた剣と血による統一ですね!」(木村浩訳)

ムイシュキン公爵の理屈にはやや不自然なところも見られるが、要するにカトリックはロシア的ではないから、したがってキリスト教的でもないということだ。そのカトリックによって、西欧社会全体をドストエフスキーが代表させていることは間違いない。ドストエフスキーにとっては、プロテスタントはカトリックの派生物であり、カトリックと本質的な違いはない。そのようなものとして、真のキリスト教であるロシア正教の前には、非キリスト教的でかつ無神論的な考えなのである。

そんなわけだから、われわれロシア人はカトリックの侵略に立ち向かい、純粋なロシア主義を守らねばならない。ムイシュキン公爵は言うのだ。「反撃が必要なのです、一刻の猶予もなりません。われわれが守ってきた、彼らのいままで知らなかったわれわれのキリストを、西欧に対抗して輝かさなくちゃならないのです」。

こうしたロシア人の西欧への対抗意識は根強いもののようで、21世紀の現在でもかれらの行動を強く規定している。かれらが無謀なウクライナ戦争を始め、しかも西欧社会全体を敵に回して必死に戦っているのも、西欧に対するロシアの劣等感の現れであるといえなくもないのである。






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