ルージンとスヴィドリガイロフ:ドストエフスキー「罪と罰」から

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小説「罪と罰」には、悪党が二人出てくる。ルージンとスヴィドリガイロフである。どちらもたいした悪党ではない。そこいらで見られるようなけちな悪党といってよい。つまり小悪党である。二人ともラスコーリニコフの妹ドゥーニャに気があって、なんとかものにしたいと考えている。その望みをかなえるために、小悪党らしい細工を弄したりするが、結局思いはかなわない。ドゥーニャはそんなやわな女ではないのである。それにしてもドストエフスキーはなぜ、この二人を小説の重要なキャラクターとして持ちこんだのか。悪党がいないからといって、小説がなりたたないわけでもなかろう。だが、悪党がいることで、小説に深みが出るとは言えそうである。ドストエフスキーは、その深みを狙って、悪党を二人も登場させたということか。

まず、ルージンから。小説が始まった時点で、かれはすでにドゥーニャのフィアンセのように振舞っている。かれは女地主マルファの縁者なのだが、そのマルファがかれとドゥーニャの結婚話をまとめたのである。そこまで到る間に、ドゥーニャの身にはいろいろ面白からぬことがあり、ドゥーニャはいささか気落ちしていた。つまり弱気になっていた。母親と二人の貧しい暮しぶりで、たった一人の兄はペテルブルグの大学を休学し、どうやら困窮に陥っているらしい。そんなことからドゥーニャは家族のために自分が犠牲になるつもりになりかけていたのである。そんな彼女の境遇に付け入る形で、ルージンは彼女をものにしようとするのだ。

母親は、娘がルージンと結婚するという話に乗り気である。なにしろ貧しさにあえいでいる身にとって、いささかの資産を持つ男と結婚すれば、ドゥーニャは無論、家族にとっても善いことに違いないと思い込んでいるのだ。ところが、妹の結婚話を母親からの手紙で知らされたラスコーリニコフは、たちまちルージンのあさましい人間性に反発し、この結婚話をぶち壊してやろうと決意する。ルージンがドゥーニャと結婚する気になったのは、彼女が聡明でエレガントでありながら、貧乏なために謙虚であり、したがって夫に対して従順にふるまうだろうと見込んだからなのであった。それを見抜いたラスコーリニコフは、妹の幸福のためにもその結婚話を破談にしようと決意するのである。

ルージンは非常に高慢な男で、なんでも自分の思い通りになると信じている。だから、ドーゥニャの兄が反対しても簡単に撃退できると思い込んでいる。ところが、ドゥーニャまでが兄と一緒に自分に対して反抗的な態度をとる。しかも彼との結婚を考え直すというのだ。ルージンとしては、折角手に入れそうになった上玉の女を簡単にあきらめられない。そこでつまらぬ策を弄してドゥーニャの気持ちをもう一度自分になびかせようと務める。そのやり方があまりにもえげつなく、しかも見え透いているので、小悪党だという印象を与えるのである。

そのやり方とは、ラスコーリニコフと深い関係にあるらしいソーニャを陥れるというものだった。ソーニャに、自分の金を盗んだという嫌疑をかけたうえで、その罪を許し、自分の心の広さを見せびらかせば、ドゥーニャは自分を見直すだろうと考えたのである。だが、その目論見は、かれの同居人であるレベジャートニコフによって粉砕される。レベジャートニコフは衆目の前で、ルージンの悪だくみを暴いて見せるのである。かれのやり方があまりにもえげつないので、友人のレベジャートニコフですら我慢ならなかったのだ。それほどルージンのやり方は、小悪党らしいいかさまぶりだったのである。だから、かれが小説から退場するについて、読者がたいした未練を感じることはないのだ。

次に、スヴィドリガイロフ。かれはルージンに比べれば多少の陰影を感じさせる。しかし動機と行動に一致しないところがあって、やや謎めいたところがある。かれは田舎の女地主マルファの亭主であって、ドゥーニャを家庭教師としてやとっていた。そのうち彼女を欲しいと思うようになったものの、その気持ちをストレートに表現することができず、倒錯的な行動に出る。あることないことかきまぜて、ドゥーニャを徹底的に誹謗中傷したのだ。だが、その嫌疑がはれると、マルファが彼女に同情して、縁者のルージンを結婚相手として斡旋したのである。そのマルファの死には謎めいたところがあるのだが、とにかく自由になれたスヴィドリガイロフは、ドゥーニャの後を追ってペテルブルグに出てくるのである。

スヴィドリガイロフは、マルファからの遺贈だといって金の贈与を申し出たり、自分からも多少の金額を贈与したいなどといって、ドゥーニャたち一家の歓心を買おうとする。始めは金の力で思い通りにしようと企んだのである。だが、金では如何ともしがたいと感じさせられる。そのうち、ラスコーリニコフの例の秘密を知ってしまう。その秘密をネタにラスオーリニコフをゆすり、妹のドゥーニャに影響力を発揮させて、彼女の気持ちを自分に向かわせられないか、そんなふうに思ったフシもあるように書かれているのだが、どういうわけか彼は、実際にラスコーリニコフを脅すようなことはしない。そのかわりにドゥニャに向かって直接思いをぶつけるのである。

それに対して、身の危険を感じたドゥーニャが、かねて用意していた護身用のピストルをかれに向けるということがあり、スヴィドリガイロフは徹底的に憎まれたと思わざるをえなくなる。その後のスヴィドリガイロフの行動は、小悪党らしくなく、かえって謎に満ちたものである。かれは絶望のあまり、ドゥーニャのものだったピストルで自分の頭をうち、自殺してしまうのである。

こんな具合に、二人の小悪党はいづれもドゥーニャをめぐって企みをはかるということになっている。その企みが頓挫すると、一方は未練がましく去っていき、もう一方は、絶望から自殺するというふうに、対称的な反応を見せる。同じく小悪党といっても、それぞれに個性をもっているというわけであろう。






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