ふたつの戦争、ひとつの世界

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岩波の雑誌「世界」の最新号(2024年1月号)が「ふたつの戦争、ひとつの世界」と題する特集を組んでいる。二つの戦争とは、ロシアとウクライナの戦争及びイスラエルとハマスの戦争のことだ。このふたつのうち後者の方に力点が置かれている。五つの記事のうち四つが後者をテーマとしている。

イスラエルとハマスの戦争を、ハマスのテロに対するイスラエルの反撃ととらえる見方が欧米や日本のメディアでは大勢を占めるが、これは誤った見方というべきであり、小生はイスラエル国家によるパレスチナ人へのジェノサイドだと思っている。その見方を、岡真理の「この人倫の奈落において」も表明しているので、小生は力強く思ったものだ。

岡は今回の事態を、ハマスのテロを起点に捉えるのではなく、長い歴史的なパースペクティヴの中で見なければならないと主張する。そのうえで、イスラエルとハマスの対立は、イスラエルのシオニストによる植民地主義的な支配に対するパレスチナ人の抵抗ととらえるべきだと言う。「イスラエルによる七五間止むことのない民族浄化の暴力がなければ、占領がなければ、アパルトヘイトがなければ、ハマースも『十月七日』もない・・・住民を民族浄化して創られた入植者による植民地国家と、その支配の軛からの解放を目指す人間たちの戦争である」と岡は言うのである。

イスラエル人の傲慢さは、パレスチナ人を動物扱いするところに現れている、と岡は指摘する。2014年にガザで起きたジェノサイドに際して、当時のイスラエルの司法相シャケドが、パルスチナ人の女たちはその腹の中でマムシを育てるといって、女性や子供を殺すことを正当化したというが、今回もイスラエル側はパレスチナ人を動物と呼んで人間扱いしていない。彼らイスラエルのシオニストたちがパレスチナ人を虐殺して恥じないことの背景にはそうした事情があるということだろう。

こうしたイスラエルの無法ぶりは、国連事務次長をしている日本人中満泉も苦々しく思っているようだ。国谷裕子のインタビュー(「ガザ、人類の危機」と題する)に答える中で彼女は、国連事務総長グレーレスの言葉を引用しながら、ハマスの行為にも一定の理由があると強調し、国際社会がハマスを一方的に非難することへの違和感を表明している。その上でイスラエルとパレスチナの二国家共存を実現し、パレスチナはパレスチナ人が自治すべきだという認識を示している。

中満は、イスラエルによるパレスチナ人の虐殺とかロシアによるウクライナの侵略という事態によって、国際社会にとって普遍的な原理が損なわれていることにも憂慮を示している。

根岸陽太の「国際法と学問の責任」は、イスラエルの無法行為について、国際法の権威たちがなんら歯止めの役目を果たしておらず、それどころかイスラエルの行為の正当化に一役かっている事態を批判している。それは、木を見て森を見ないことに原因がある。今回のことについていえば、ハマスによる攻撃は木であり、一方、イスラエルによるパレスチナ人への抑圧の歴史は森である。国際法学者は、木としてのハマスのテロから出発して事態を捉えようとするから、今回のイスラエルの反撃は容認されると強弁する。だが、森を見ていれば、長い間のイスラエル国家によるパレスチナ人への迫害が、激しい反応を呼ぶだろうことは容易に理解できる。そんなわけで、「危機の学問としての国際法学は、事態の解決に効果的に寄与しておらず、むしろ存在意義が疑われる『学問の危機』に陥っている」と根岸は言うのである。

なお、この特集とは別に、駒込武が「植民地主義者とは誰か」という小文を寄せており、その中で、先般イスラエルを訪問した日本の外務大臣の振舞いを批判している。その外務大臣は、イスラエルの外相と会談し、ハマスの攻撃はテロであり、断固非難すると語った。それに対してSNS上では、「植民地主義者がかつての植民地主義者と会う。何も不思議ではない。日本よ恥を知れ」といった内容の投稿があふれた。そのことに触れながら、駒込は、この日本の外務大臣が、植民地主義的な思想を抱いていることに苦言を呈しているわけだ。小生もあの際の日本の外務大臣は随分無神経な人間だと感じたものだったが、さすがに彼女の行動を植民地主義と結びつけることはしなかった。





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