正法眼蔵随聞記第四の評釈

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正法眼蔵随聞記第四は、これも仏道修行の心得を説くことから始まる。その心得の最も肝要なものは、自己への執着を捨てることである。自己への執着を捨てることは、心身放下という言葉ですでに語られていたが、ここでは「自解を執するなかれ」という言葉で表される。「広く知識をも訪ひ、先人の言葉をも尋ぬべきなり」というのである(第四の一)。

二は、南陽忠国師の故事を引きながら、「童子も国皇の師として真色を答ふべし」といい、童子といえども修行の上では大人と平等にあつかうべきだと説く。

三も、一と同様、我執を捨てるべきだと説く。我執のことをここでは我見と言っている。面白いのは、自分自身の身体にも執着するなと言っていることだ。「身体髪膚は父母の二滴、一息とゞまりぬれば山野に離散して終に泥土となる。何を持てか身と執せん」というのである。

四は、善き人に接していれば、自分自身も知らず知らずよき人になると説く。善は感化するというのであろう。門前の小僧と同じようなものか。

五は、懐奘が道元の弟子となり、始めて首座に招せられ、秉払を行ったということを、懐奘の回顧談として語る。秉払とは、師に代わって教えを説くことをいう。その際、聞く者が少なかったが、懐奘にとっては感慨深いものであったというようなことが回顧される。

六は、安楽を求めず、苦難をしのんで修行に励むべしと説く。「古へも皆な苦を忍び寒にたゑて、愁ひながら修行せしなり。今の学者苦るしく愁るとも只しひて学道すべきなり」というのである。

七は、さとりを得るためには偏見(旧見)を捨てるべしと説く。偏見とは、草木は草木、瓦は瓦と割り切る見方である。そうではなく、「仏祖決定の説なれば、あらためて心は艸木と云はば便艸木を心と知り、仏は瓦礫といはゞ瓦礫を便ち仏なりと信じて、本執をあらため去らば、道を得べきなり」というのである。

八は、同時代の大衆に気にいられるよりは、先代の賢人を見習うべきだと説く。「当代下劣の人によしと思はれんよりも、只上古の賢者、向後の善人をはづべし。ひとしからんことを思ふとも、此国の人よりも唐土天竺の先達高僧をはぢて、彼にひとしからんと思ふべし」というのである。

九は、今の修行に邁進して、つまらぬことにこだわるなと説く。つまらぬことの例として、老尼が現在の境遇を恥じて、昔は上臈であったと言い訳することをあげる。

十は、行動は慎重に考え抜いたうえでなせと説く。「古へに三たび復さふして後に云へと。云ふ心は、凡そものを云はんとする時も、事を行ぜんとする時も、必ずみたび復さふして後に言行すべしとなり。先儒のおもはくは、三度び思ひかへりみるに三度びながら善ならば云ひ行なへと云ふなり」というのである。そのことについて、司馬相如の故事をあげる。司馬相如は何事を行うについても慎重に慎重を期したので誤ることがなかった。

十一は、善悪の基準は相対的であるが、仏教者は欲を離れるを以て善とすべしと説く。「僧は清浄の中より来れるものなれば、人の欲を起すまじきものを以てよしとしきよきとするなり」というのである。

十二は、末世に学道を志ざしても無駄だという主張への反駁である。道元は「仏教に正像末を立ること暫く一途の方便なり」と言ったうえで、どんな世であろうと、ひたすら修行に励むべしだと説く。「かならず非器なりと思ふことなかれ。依行せば必ず証を得べきなり」というのである。

十三は、仏教者は同心して修行すべしと説く。俗人においても、言動一致していなけらば城を落とされる。それと同じように、仏教者もてんでに勝手なことをしていては、悟りは得られないというのである。この部分は、仏教者は一致して先人の教えを守るべきだと言っているのだと思うが、ややわかりにくい言い方である。

十四は、粗末な住居を気にかけてはならぬと説く。「堂閣破ぶれたりとも露地樹下にはまさるべし。一方破ぶれてもらば、一方のもらぬ処に居して坐禅すべし」というのである。

十五は、仏教者は未来のために備えをなすことにこだわるべきではないと説く。備えがなくて飢えても、その時に方便を考えればなんとかなるものだ。だから、備えについて心をわずらわすことはないというのである。

十六は、仏教者は、財宝を求めるのではなく、知恵を身に着けるべきと説く。智慧さえあれば、どんな苦境も脱することができる。智慧の中でも、他人を立腹させないことが肝要である。他人を立腹させては、布施を得ることもかなうまいというのであろう。ひたすら温厚に振舞い、人に愛されることが大事だというわけであろう。





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