ロシアの下層社会:ドストエフスキー「罪と罰」から

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ドストエフスキーは、「罪と罰」の中でロシアの下層社会の人々を描いた。ロシア文学の歴史上、下層社会の人々を正面から描いた作家は、彼以前にはいない。プーシキンとかゴーゴリといった作家が描いたのは、地主とか役人であり、要するに上層階級に属する人間だった。ドストエフスキーが初めて下層社会の人間を本格的に取り上げたのである。かれはすでに「死の家の記録」のなかで、下層階級出身の囚人たちを描いていたが、囚人というのは、階層を超えた特殊性を持っているので、それを描いても、厳密な意味で下層社会の人間を描いたことにはならない。純粋な下層社会を描いたといえるようなものは、ロシア文学では、この「罪と罰」が最初なのである。

もっともこの小説に出てくる下層社会というのは、大都会ペテルブルグに住む人々である。ペテルブルグは、ロシアの首都であるから、全国からいろいろな人間たちが集まってくる。それらの人間は最初から落ちぶれていたわけではなく、何かの理由で社会から落ちこぼれてしまったのであろう。ソーニャの一家がそのよい例である。もともと下級の官吏だった父親が、仕事を失ったことで、一家まるごと下層階級に身を沈めたということになっている。

この時代のロシア社会はまだ農村的な雰囲気を多く持っていたから、本当の意味での下層社会は農村部にあったのかもしれない。農奴制は表向きは廃止されたといっても、土地は大部分地主が押さえており、農民はだいたい貧しい暮らしをしていたと思う。だが、農村部というのは分散的なので、下層社会といった集合的なイメージとは結びつかないかもしれぬ。貧しい人々が寄り集まり、一種の社会(下層社会)が形成されるのはペテルブルグのような大都会だったと思われる。だからドストエフスキーがそこに眼をつけたのは自然なことだったといえよう。

この小説の中で、下層社会のありようがもっとも生々しく描かれるのは、マルメラードフの法事の場面である。この場面の一環として、ルージンのソーニャに対する侮辱騒ぎが演じられるのだが、それは別として、法事に集まった顔ぶれがロシアの下層社会を代表しているというわけである。

この法事は、カテリーナ・イワーノヴナがラスコーリニコフからもらった金を奮発して開いたもので、彼女は大勢の人が集まるのを見越して、盛大な用意をして待っていた。葬式そのものは、実に質素なものだったが、せめて法事くらいは世間並みに賑やかにやりたいというのが彼女の願いだった。だが、法事に集まったのは、ごく少数の人々だった。「要するに、現れたのは、ポーランド人と、あぶらでとろとろのフロックを着た、いやな匂いのする、にきびをいっぱい出したみっともない無口の事務員、それに耳の遠い、目もほとんど見えない老人・・・さらには飲んだくれの退役中尉がやってきたが、これも実は糧食部に務めている役人で、無礼極まる高笑いをする男で、なんと<あきれたことに>チョッキも来ていない」(工藤精一郎訳)といった有様だった。ポーランド人は二人の同国人を連れてきたが、それは一度もこのアパートに顔をだしたこともなく、ごちそう目当てにやってきたというのがミエミエなのであった。

アパートに住んでいる人々の大部分は、マルメラードフの運命に無関心だということがわかる。かれらはたとえご馳走を出されても、他人のことにかかずらう余裕はないのであろう。それに加えて、マルメラードフの娘ソーニャが黄色い監察を交付されていることもあったようだ。地方から来た二人の婦人は、そのことを理由にして法事への参加を拒否したということだ。彼女らはアパートの宿主アマリア・イワーノヴナからそのように忠告されていたのである。そのアマーリアは外国人だということになっている。そこでカテリーナ・イヴァーノヴナは、ラスコーリニコフに向かって怒りをぶつけるのである。「ねえ、ロヂオン・ロマーノヴィッチ、お気づきになって、ペテルブルグにいるすべての外国人、といっても、主にどこからか流れてきたドイツ人ですが、そろいもそろって、必ずといっていいくらい、わたしたちよりばかですわねえ!」

アパートのほかの住民が集まってくるのは、ルージンによるソーニャへのいじめが始まってからである。騒ぎを聞きつけて集まって来た彼らは、もとからいた連中が酔っ払った騒ぎたてていることをよそに、さめた目でこのいじめを見ていた。その表情には、ルージンの気持ちをひるませるほどの威圧感があった。かれらは、ふつうのことには関心を払わないが、弱い者が理不尽にいじめられるのは許せないのである。

結局ルージンは形勢の悪さを自覚して、群衆を押しのけながら去っていく。その直後、アマーリアが群衆の騒ぎに興奮し、発作的にカテリーナ・イヴァーノヴナの追い出しにかかる。追い出しを食ったカテリーナ・イヴァーノヴナは絶望して叫ぶのだ。「良人の葬式の日に、ひとのご馳走を食うだけ食ったあげく、孤児をかかえたわたしを往来に追い出すなんて! どこへいけというのさ!・・・神さま! 世の中に正義というものはないのでしょうか! わたしたちより身寄りのない者でなくて、いったい誰をあなたはお守りくださるのです?」

こうした叫びが、ロシア文学の中で響いたことはかつてなかった。ドストエフスキーは、ロシア社会の抱えている理不尽さを暴くのに熱心だったが、その理不尽さをもっともよく味わわされているのが下層社会の人間だと思い知って、この小説の中で、カテリーナ・イヴァーノヴナという不幸な女に叫ばせたわけであろう。






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