坂本隆一最後の日々

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昨年(2023)の三月に死んだ作曲家坂本龍一の最後の日々を記録したNHKスペシャル番組「LastDays 坂本龍一最後の日々」を見た。2020年の一月に肝臓に3センチ大の癌がみつかり、医師から余命半年といわれながらも、2023年三月に死ぬまで、死と向き合いながら、最後には自分の人生に納得して死んでいった坂本の最後の日々が、圧倒的な存在感をもって迫ってくる作品だった。

小生は、坂本とはあまり縁がなかった。大島渚の映画「戦場のメリー・クリスマス」で、日本軍将校を演じる姿を見たくらいで、かれの音楽はほとんど聞いたことがない。そんなかれの生き方を、この映画で初めてじっくり見たわけだが、そのかれの生き方は、死に方でもあった。人間いかにして死んでいくか、という、平凡にして深刻な事柄を、この作品のなかの坂本は、われわれに教えてくれたような気がする。

余命を宣告されてから、実際に死ぬまでの間に、三年あまりの時間があった。その時間の中で、かれが自分の人生を総括し、死ぬ準備ができたと感じたのは、死の一か月前のことだったという。つまりかれは、仏教用語でいえば、生きながらにして仏になったわけである。坂本が仏教を信じていたかどうかわからないので、あまり抹香臭いことをいうと恨まれるかもしれない。

小生の友人のなかには、癌が見つかったその三か月後に死んだものもいる。そういうケースでは、死の準備をする間もなく、なかば強いられるようにして死んでいったと解釈される。そういう死は、外部から到来する死である。それに対して坂本は、自ら死の準備をする余裕をもつことができ、自分から主体的に死を迎え入れたのだと思う。

坂本に死の準備を促したのは、昔からの音楽仲間がかれに先駆けて死んだという事情もあったようである。坂本は友人の死を見送ったその一月後に、自分も死の準備ができたと思ったのである。

死に際して坂本は、いい人生だった、恐怖はなくなった、と語っている。こんなに充実した死に方はそう簡単にはない。小生も自分なりの死の準備を、そろそろ考えなければなるまい。





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