フランス映画「未来よ こんにちは」 哲学的な生き方

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2016年のフランス映画「未来よ こんにちは(L'Avenir ミア・ハンセン=ラブ監督)」は、あるフランス人女性の生き方を描いた作品。おそらく現代フランスにおける中流階層の女性の、典型的な生き方なのだと思う。だから、たいしたドラマ性がないにもかかわらず、多くの共感を呼んだのであろう。

主人公は、リセで哲学を教えている中年女性。夫もやはりリセで哲学を教えている。リセというのは、七年制の中等教育機関で、日本の中学高校をあわせたものにもう一年付け加えたようなもので、卒業生は大学をめざす。面白いのは、必修科目として哲学が課されていることだ。大学入学資格試験の科目に哲学があるためである。フランス人は、子どもの教育において、哲学の役割を重視しているのである。日本の道徳教科とは違って、子どもの頃から、哲学的な思考を身に着けさせようということだろう。

そんなわけだから、フランスでは、哲学で飯を食っていけるようになっている。日本では、大学で哲学を学んでも、就職にはほとんど役にたたぬが、フランスでは、哲学を一生の職業として生きる道が開かれているのである。サルトルもメルロ=ポンティも、フランスの現代思想家のほとんどは、リセの哲学教授としてキャリアを開始したものである。

そういうシステムの中で、主人公のナタリーとその夫ハインツはリセの哲学教授として順調な人生を歩んできた。息子と娘が一人ずついる。家族関係は良好で、それぞれが互いに干渉しあわない。もっともその淡白すぎるところが、後に家族の崩壊をもたらす。家族としてはもう一人、ナタリーの老いた母親がいる。この母親は認知症にかかっており、働いているナタリーには面倒が見切れないので、施設に入れざるをえなくなる。すると母親はまもなく死んでしまうのである。黒い大きな猫を残して。

母親の問題のほかに、夫の浮気の問題が表面化する。それをナタリーはべつに気にもしていなかったのだが、娘が拒否感を示し、父親に向かって、愛人を選ぶか妻を選ぶかすぐに決めろと詰め寄る。父親は愛人を選ぶ。そこで家族はまず、深刻な解体の危機に面する。

それでもナタリーはなんとか生きていく。唯一の慰めは、かつての教え子がそれなりに哲学的な生き方をしていることだ。彼女の最大の喜びは、、教え子たちを哲学的な生き方をするように導くことなのだ。

だが、そんなことで、心の寂しさは埋められない。娘が孫を生んでも、その孫を生きがいにすることはできない。生きがいは自分自身の生き方にかかわることだからだ。そんなふうにして、ナタリーは少しずつ老いていくのである。老いの先に充実した未来が開けているというふうには感じさせない。






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