アベポリティクスの本質は富国強兵にあり

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安倍首相の独走ぶりが眼を引く。アベノミクスの成功で国民の一定の支持を勝ち取ったことを最大の政治資源にして、自分の政治信念の実現に向けて突っ走っているかに見える。その手法はいかにも安倍首相らしい。力まかせの正面突破作戦ともいうべきか。筆者はそれを、仮にアベポリティクスと名づけてみた。今から思えば、アベノミクスもこのアベポリティクスの一環だったようだ。では、そのアベポリティクスの内実とはどんなものか。今日版の富国強兵政策と言えるのではないか。

つまり、国の経済力を強化して強大な軍事力を供え、それを政治的資源にして世界に冠たる大日本国を作り上げる、そんな夢が込められている。それがアベポリティクスなのだろう。したがって、アベノミクスはアベポリティクスを支えるための土台を確立するための政策だということになる。先日、安倍政権のブレーンが米紙のインタビューに答えて、アベノミクスの目標は、経済を立て直して強い軍事力を持つことだと発言したが、これが安倍政権の本音なのだろう。

アベノミクスのいわゆる三本の矢のうち、三本目の矢である成長戦略について、いまのところ有効な政策が打ち出されていないと批判されているが、アベポリティクスにとっては、成長は日本の軍事力の強化に直結するものでなければ意味がない。そのような分野とはなにか。軍需産業である。また、いつでも軍需産業に転嫁できる可能性を持った原子力産業である。安倍政権が、これらの産業分野にこだわる理由は、富国強兵という視点から見れば、きわめて明解になる。

しかし、いくら安倍政権でも、露骨に軍需産業を育成するとは言いにくい。それで、遠回しなやり方で軍需産業の育成に乗り出しているというのが現在の状態なのだろう。三本目の矢の輪郭が明確さを欠くのは、そんな理由があるからだと思う。

当面は武器輸出の規制を緩和して、日本の企業が諸外国に武器を売りやすくしてやる、そうすることで、日本の軍需産業が実質的に強化される。

安倍政権が原発の維持にこだわるのも、いつでも速やかに核武装できるようにしておくためだろう。とくに、核燃料サイクルの維持は、原発を核兵器製造工場に転用するに際して重要な意義をもつ。安倍政権が、危険性への配慮や採算性を度外視して核燃料サイクルにこだわる理由は、核武装へのこだわり以外には考えられない。

安倍首相が想定する敵国は中国のようだ。中国を相手に戦争するには通常の戦力ではかなわないだろうことは目に見えている。そこで十分な核兵器で武装することによって、強力な抑止効果を持つことが、最低でも必要になる。なにも、13億の中国人を皆殺しにできる程の多くの原子爆弾を持つ必要はない。中国が日本に核攻撃を加えれば、自分もそれ相応の火傷をする、ということを、相手に認識させればよい。そう安倍さんは考えているのではないか。まさか、中国人をひとり残さず殲滅しようなどとは、考えてはいないだろう。

アベノミクスについては、一方では政府による財政支出重視などリベラルな路線をとりながら、他方では規制緩和などの新自由主義的な路線を併用しているのは政策ミックス上のアンマッチだなどと批判する向きもあるが、これも富国強兵という視点からすっきり説明できる。

アベノミクスは、経済の底上げを狙っているのであって、格差の解消だとか、労働者の保護などということは眼中にはない。むしり格差はあったほうが、兵力の充実という点では望ましい。なぜなら、労働者の権利が保護されて、働きやすく生活しやすい環境が整えば、自分から好んで兵隊になろうなどという殊勝な人間はいなくなってしまうだろうからだ。それ故、貧しくて、生きていくためには兵隊にでもなるほかないといった若者が多数存在することが、富国強兵のポイントなのだ。

安倍さんの祖父である岸信介は、全体主義的な政治体制を追求した人だったが、彼は国民の生活を面倒見ることには熱心だった。それは、国民皆兵という制度の裏打ちがあって、だまっていても、国民を兵隊にすることが出来たからだ。そうした兵隊たちに向かって、お前の家族の面倒はお国が見るから、お前は安心して死んでいけ、と言えたわけである。

ところが、安倍さんの場合には、国民皆兵の実現は非常に高いハードルだ。だから、国民の一定割合を兵隊にするためには、兵隊を魅力ある職業にしなければならない。魅力というのは相対的な尺度で、その職自体の魅力が絶対的に向上する場合のほかに、他の職業に比較して相対的に魅力が高まるという場合もある。たとえば、一般的な労働条件が破壊された結果、世の中には悲惨な仕事ばかり蔓延するようになれば、兵隊という職業の魅力が相対的に高まるわけだ。安倍政権が労働破壊に熱心なのには、以上のような背景があると思われる。

こんなわけで、一見矛盾していると思われる安倍政権の政策ミックスも、富国強兵という基準からすれば、矛盾なく説明できる。それを筆者は、仮にアベポリティクスと名づけたわけである。







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