牡丹図:狩野山楽

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狩野山楽は、浅井長政の家臣木村永光の子光頼といったが、浅井家滅亡後父が秀吉に仕えていた時に、秀吉に画才を認められて、狩野永徳に弟子入りしたという、かわった経歴の持ち主である。秀吉との関係が密接だったことから、徳川家から疑われたこともあるが、なんとかそれを振り切って、徳川家の保護も受けるようになった。

画風は、永徳のそれを受け継ぐとともに、自分なりの発展も実現している。すなわち、永徳風の豪壮さを表現する一方、自然の美しさを繊細に表現するところもあった。

上の写真は、牡丹図といって、山楽の繊細な面を感じさせる逸品である。この作品は、徳川秀忠の息女東福門院が入内するのを記念して造営された大覚寺宸殿のために制作されたものである。全部で十八面からなるが、これはその一部。金地を背景にして、牡丹の花が大きく浮かび上がるように描かれている。

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これは、先の部分の右手に続く部分。岩組から伸び出た牡丹の花が、色鮮やかに描かれている。(紙本着色 重文)






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